ヤマトを救った琵琶湖の女神 再3(皇紀弐千六百七十八年十月二日)

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  仕事で滋賀県にはよく行きます。なぜ戦国武将がこの近江を狙ったかがよくわかります。水と陸の交通の要所です。ここを抑えないと全国を抑えられません。北へ進めば日本海、陸路では街道沿いに東へ向かって大きな壁があります。滋賀県と岐阜県の県境にある伊吹山です。この大きな壁を越えないと東に行くことが出来ません(20130331)。

 息長氏(神宮皇后の実家)の源泉はこの伊吹山です。

 伊吹山で思い出すのが日本武尊ですね。

 父の景行天皇の命による熊襲征伐、東国平定の重責を果たした日本武尊は、恋人がいる熱田で休息します。一方、景行天皇の御子はたくさんいました。もちろん異母兄弟も。異母兄弟の母の一人が日本武尊の功績をねたみます。このままでは自分の子が帝位につくことができません。一計を案じます。

 日本武尊は騙されて、神に祈るために伊吹山に登ります。神聖な山に登ると言うことで、日本武尊は剣を外しました。そして途中、刺客に襲われ致命傷を負います。一旦、熱田に戻りますが、寝込んでしまいます。その後、伊勢経由で都に帰ろうとしますが、途中で命を落とします。

 この刺客を放ったのが息長一族ではなかったかという話があります。

 実は、日本武尊は神宮皇后の義理の父親にあたります。仲哀天皇は、父である日本武尊を死に追いやった息長氏からなぜ后を迎えたのでしょうか。

壮大な 史実が眠る 近江の国 ひとつひとつが 今につながる

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このページは、宝徳 健が2018年10月 2日 15:41に書いたブログ記事です。

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