水始涸(皇紀弐千六百七十八年十月六日 弐)

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 明日から、七十二候 末候 「水始涸」です。「みずはじめてかるる」と讀みます。

 田の水を落として、稻穂の刈り入れを始めるころです。黄金に色づいた稻穂が美しいですね。

 私たちの子供のころは、かなり都會にいかないと、田がないなんてことはあませんでした。

 かういふ風景が當たり前でした。こんなところで遊んでゐると、服が藁だらけになつてしまひます。でも、母は怒らなかつたなあ。今の母親だと、激怒ですね(笑)。

 我が國の三大神勅を復習しておきませう。

天壌無窮の神勅(てんじょうむきゅうのしんちょく:我が子孫が日本の統治者であり、清く正しい統治をする限りそれは永遠に續く)

斎庭の稲穂の神勅(ゆにわのいなほのしんちょく:天照大御神は瓊瓊杵尊に稲の種を与え、これで民を養いなさいと命令した。日本は稲作國家である)

宝鏡奉斎の神勅(ほうきょうほうさいのしんちょく:天照大御神は瓊瓊杵尊に鏡を与え、これを私と思っていつも自分を映し出して自己を反省せよと命令した)

 このうち斎庭の稲穂の神勅が新嘗祭と式年遷宮と深いかかわりを持ちます。稻作への祈りです。

 天孫 瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が降臨するときに、天照大御神が天孫に命じた言葉です。

 稻穂から人間社會の奇跡 我が國を感じたいものです。

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このページは、宝徳 健が2018年10月 6日 15:17に書いたブログ記事です。

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