高山正之先生の記事 5(皇紀弐千六百七十八年十月六日 參)

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 最終囘です。最近、池上彰が彼のくだらなさの事實を暴かれはじめてゐますね(笑)。やはり私だけがそう思つてゐたのではなかつた。

 司馬遼太郎や山崎豊子もそうです。未だに騙されてゐるファンが多いので異論続續出なのでせうが、早く目覚めましょう。

 では、つづきを。
 欧州紀行では徳川慶喜の弟、昭武がべえるぎーを訪れた折、国王レオポルド2世が「各別の好意を示した」と嬉しそうに描写する。

 しかし国王はそのあとに本を植民地にしようと画策する。「アジアの未開地はきっと欧州の文明を歓迎するだろう」とも言っている。

 結局、国王はコンゴを植民地にして住民の半分の手首を切り落とし、人口の7割を殺した。

 そんな国王に批判の一言もない。司馬は「日本人に厳しく、外人は朝鮮人でも高く評価する」朝日の風土にすっかり馴染んだように見える。

 「坂の上に上り立ったあと日本は驕り、破滅に向かった」と司馬史観はいう。

 ただその史観には近代日本への憎悪と幼稚なまでの外人崇拝が入り混じる。

 明治150年を腐す朝日新聞と妙に似通うのは決して偶然ではない。

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このページは、宝徳 健が2018年10月 6日 15:30に書いたブログ記事です。

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