新聞の戰爭責任(皇紀弐千六百七十八年十月七日 弐)

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 九月二日の産經新聞朝刊に興味深い記事が載つてゐました。元東京大學教授の 酒井信彦先生の記事です。そのまま抜粋します。

 全く同感です。メディアは不感症集團です。
 8月23日の新聞各紙で、昭和天皇が昭和62年4月の時点で戦争責任を気にかけておられたことが、侍従の日記の公表で明らかになった。

 この日記は、小林忍侍従長の親族が、共同通信に持ち込み、報じられたものである。戦争責任を執拗に追及する人間がいたために、昭和天皇は最晩年にあってもお悩みになっておられたわけである。

 連合軍の中には、天皇の戦争責任にこだわった国もあったが、アメリカが退けて、戦争責任は問題化されなかった。

 一方、ほとんど忘れられているが、戦争責任遂行に重大な役割を果たしたにもかかわらず、占領軍に責任を追及されなかった組織としてマスコミ、特に新聞が存在する。

 ドイツでも、イタリアでも、戦争中の新聞は廃刊になったが、日本の新聞はそのまま生き残った。その後、新聞の戦争責任は追及されず、70年以上が経過している。

 この新聞の戦争責任について、極めて興味深い調査結果が存在する。朝日新聞取材班による『戦争責任と追悼 歴史と向き合う1』(朝日選書 平成18年刊)の160ページに次のような記述がある。

 「米国立公文書館から山本教授が収集した資料の中に、米政府が日本兵捕虜に聞き取りをした調査の結果があった。天皇・軍・政府・メディアについて不信感を抱いているかどうかを258人に聞き、太平洋戦争後期の44年にまとめたものだ。メディアに不信感があると答えた捕虜は38%だった。それは天皇(0%)、政府(8%)、軍(31%)のどれよりも高い数字だった。

 つまり、兵士たちは、天皇はもちろん、政府や軍よりも、メディアに最大の不信感を抱いたのである。そのメディアとは基本的に新聞であり、戦争当時の新聞は朝日と毎日が2大新聞であった。

 今年の戦没者追悼式で天皇陛下が4年連続で「深い反省」を述べられたのに対して、安倍晋三首相が「加害者責任」に言及しなかったことを、朝日も毎日も筆をそろえて批判している。では、新聞自身の戦争責任は一体どうなってしまったのだろうか。

 捕虜兵士からメディアは政府の5倍近くの不信感を持たれているのである。戦意高揚報道によって、巨大な被害を与えた日本国民に対して、新聞は毎年きちんと、謝罪の言葉を述べるべきである。

 昭和天皇崩御後10年以上がたった平成12年末、元朝日新聞の女性記者が主導し、朝日が熱心に報道した「女性国際戦犯法廷」の目的は、慰安婦問題を口実に、昭和天皇に対し、戦争犯罪人として有罪に判決を下すことだった。

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このページは、宝徳 健が2018年10月 6日 20:19に書いたブログ記事です。

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