つれづれなるままに(皇紀弐千六百七十八年十月七日 九)

| コメント(0) | トラックバック(0)
手帳
 來年の手帳がきました。毎年樂しみな時期です。構想を練るつていいですね。今年は、例年になく生き方がうまくいってゐます。百点満點で六十點かな。あとは、もう少し仕事を計画的にやらないと。これも來年の目標ですね。

教育勅語
 共産党の誰かが(名前を覺へる氣もしない)、大臣の教育勅語發言に文句をたれてゐます。内容はどうでもいいのですが「よく教育勅語を研究もせずに」といふ發言がありました。どういう意味か分からずひつくり返りさうになりました。
 
 教育勅語の内容が素晴らしいものであることは、論を待ちませんが、ひとつだけ。教育勅語は敗戰後國會で廢止されたのどうのこうの。基本がわかつてゐません。陛下のお言葉である「勅語」「詔勅」は國會で廢止することができません。 だから、まだ、生きてゐるのです。

 こまった人間が多いものです。



靖國神社己亥暦
 私は、宗像大社、橿原神宮、伊勢神宮、靖國神社の會員です。平成三十一年(皇紀二千六百七十九年)の、靖國神社己亥暦(やすくにじんじゃきがいれき)が送るられてきました。


 己亥は、訓讀みで「つちのとい」、音讀みで「キガイ」です。己亥の「己」は、「甲・乙・丙・丁・戌・己・庚・辛・壬・癸」の6番目です。この一連を十干(じっかん)と云ひます。ものの序列や階級などを表すときに用いてきました。「コウ・オツ・ヘイ・テイ・ボ・キ・コウ・シン・ジン・キ」と讀みます。

 亥は、「子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥」の12番目です。この讀みは解説不要でせう。十二支です。

 來年は、「己亥」です。

 甲子園は「甲」の干と「子」の支の年にできました。まだいろいろありますよね。壬申の亂とか。昔の人は教養があります。

日本遺産
 知りませんでした。日本遺産。文化庁が推進してゐますが、官庁がやることにしてはなかなか氣がきいてゐます。平成二十七年から初めてもう六十七件もあるとか。へーーーー。名前が面白い。「桃太郎傳説の生まれた町」とか「鯨とともに生きる」とか。仕事を引退したらひとつひとつ尋ねてみます。

台風(臺風)
 もう、今年はこりごりですが、子供のころ、台風が來るときは何かワクワクしてゐました(不謹慎ですが)。祖母や母が急いでご飯の支度をして、風が来ないうちに、水道が止まらないうちに、停電がとまらないうちに」と。停電は必ず來ました。蝋燭の光の中で食事をしました。風が來る前に、雨戸に板を打ち付けました。家族全員が役割分担をして、家族全員が蝋燭の光の中で過ごしました。それがうれしかつたのかな。おっと、家族全員??? 父だけは、會社が心配だからと、會社に行ってしまひました。毎囘。私は覺へてゐませんが、父に向って「じゃあ、家族はどうなってもいいのか」と言ったさうです。それを、今でも父はうれしさうに話します。父は、そのとき必ず云ひました。「なにかあったら、健が、おばあちゃんと、お母さんと、お姉ちゃんを守ってくれ(妹はまだ生まれてませんでしたから、そのとき私は五歳以下です)。男の子教育ですね。 をはり

 











トラックバック(0)

トラックバックURL: http://www.soepark.jp/mot/mt/mt-tb.cgi/8030

コメントする

月別 アーカイブ

Powered by Movable Type 4.261

このブログ記事について

このページは、宝徳 健が2018年10月 7日 08:39に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「源氏物語 81(皇紀弐千六百七十八年十月七日 八)」です。

次のブログ記事は「巧詐不如拙誠(皇紀弐千六百七十八年十月七日 十)」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。