巧詐不如拙誠(皇紀弐千六百七十八年十月七日 十)

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 「中国古典の名言録」といふ本があります。守屋洋さんが著者。この人は上手に支那の古典を解説してくださいます。

 十年ぐらい前かなあ。支那の古典をむさぼるやうに讀みました。同時に安岡正篤先生も。あるとき「支那人は、人間の理想を語るが實現しやうとしない(五經は別です)」と云ふことに氣づきました。それから一氣に熱が冷めました。
 
 でも、考へてみると、その人間社會の理想を、當の支那に代わつて人間社會の奇跡として實現させてしまつたのが、天皇陛下を中心とする我が國でした。なんで、もう一囘勉強しようかなあ、と、思つてゐるところに、SWさんから、何冊かの本を紹介されました。そのひとつがこの本です。

 守屋さんのこの本に私なりの解説を加へます。

 まず「巧詐不如拙誠」。「巧詐は拙誠に如かず(こうさはせっせいにしかず)」です。韓非子といふ、非常になんといふか、人間不信の論者です。

 うまくやろうとして嘘をついたりペテンにかけたりして言葉巧みに人を騙すより、つたなくてもいいから、人を欺かなほうがいい。と云ふ意味です。
 
 一囘一囘の話は何囘かにわけて解説します。



 まずは、巧詐の例が韓非子に挙げられてゐます。あらすじだけ。

 支那古代に 樂羊(がくよう)といふ將軍がゐました。戰爭で、中山(ちゅうざん)を攻めました。たまたま息子が中山に住んでゐました。

 中山側は、息子をとらへて、もし攻めてきたらお前の息子を殺すぞと揺さぶりをかけてきました。それでも樂羊は中朝せずに攻めました。敵は、息子を殺してその肉で肉入りスープをつくって樂羊に送りつけました(支那人といふのは平氣でかういふことをやります。歴史を見ても枚挙に暇がありません)。

 樂羊は、嘆き悲しむどころか、平然とそのスープを飲み干し、一氣に中山を攻めて滅ぼしました。

 さて、みなさんは、この話をどう思ひますか? 名言集と云ふことではなく、比較文化論をしてみませう。

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このページは、宝徳 健が2018年10月 7日 09:17に書いたブログ記事です。

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