福翁百話 3(皇紀弐千六百七十八年十月八日 七)

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 つづきです。久しぶりに福澤諭吉先生に触れることの幸せ。たまりませんね。


人間の安心
人生は戯(たはむ)れと知りつつ戯れよ

 それなのに凡庸な俗世界で、貴賤、貧富、栄華盛衰などといって、必死になって心身を疲労させるその様子は、庭に蟻塚を築く蟻の群れがにわか雨が襲ってくるのを知らないような、また、夏の青草に跳び回るバッタが急に秋風の寒さに驚くような、おかしくて浅ましい次第だが、すでにこの世界に生まれ出たからには、ウジ虫ながらも相応の覚悟がなければならない。

 では、その覚悟とは、何であるか。人生は本来、戯れであると知りながら、この戯れを戯れに終わらせず、ひたすら真面目に努め、貧乏、苦労をしないで富と安楽を得るように努力し、他人の邪魔をせず、自分自身で安楽を求め、五十でもななじゅうでも寿命は永いものとし、父母に孝行し、夫婦仲良く、子孫のためになる計画も立て、また社会にも貢献し、生涯一点の過失もないように心がけることこそ、ウジ虫の本文なのだ。いや、ウジ虫のことではない、万物の霊長として、人間だけがこんなことができるのを誇るべきなのである。

 人生は戯れと知りつつ戯れるなら、心は安らかで戯れも極端に走ることはない。そればかりか、時には、戯れ満載の俗世間に住みながらも、自分一人戯れないでいるのも、また可能だ。人間が安心して生きるコツは、およそこの辺にあると考えて、そんなに大きな間違いはないはずである。

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このページは、宝徳 健が2018年10月 8日 10:43に書いたブログ記事です。

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