さて、ここで藤原定家の登場です。「新古今和歌集」の1選者のひとりであり「歌聖とも呼ばれてゐます。
大好きな正岡子規は藤原定家を「『新古今集』の選定を見れば少しはものが解っているやうに見えるが、その歌はそくなものがない」と否定しています(正岡子規著「歌よみに與ふる書」)。
でも、こと「古典」といふ範疇を考えると、藤原定家がいなければ、源氏物語をはじめとした我が國の古典は、葬り去られていたかもしれないのです。
次囘から、この重大なる我が國の事件をみていきます。
さて、光源氏の出發の日が近づきます。いろいろなところへけじめをつけに行きます。
まずは、なんと言つても先帝「桐壺帝」の御陵へ參拝。
そして、月が出る前に、まず藤壺の尼君のもとへ。
とにかく、源氏物語を讀むときに、軸となるのがこの「桐壺(光源氏の母)-藤壺」ラインです。特に前半では。桐壺の次の后である藤壺は、桐壺そつくりです。今の光源氏の正妻である 紫の上(若紫)は、藤壺の姪に當たります。
その他のラインは、第二帖「雨夜の品定め」で、光源氏が頭中將ら仲間たちと、どんな女がいいかを論じるところからきてゐます。
藤壺のもとを訪ねた光源氏ですが、藤壺の出家されてはたまりません。
でも、二人の懸念は、東宮(皇太子)のことです。先帝 桐壺帝と藤壺の子といふことになつてゐますが、実は、光源氏と藤壺の子です。その秘密は二人しか知りません。
今の、帝は、朱雀帝。右大臣家ラインです。つまり、光源氏の政敵。特に弘徽殿女御(こきでんのにょうご)が。
東宮の地位が心配でならない二人です。 つづく
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