命の手紙 132(皇紀弐千六百七十八年十一月一日 弐)

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 今、兵庫医科大學病院に來てゐます。夏にした、腰骨を歯茎に移植する手術(交通事故の時に歯だけではなく、歯茎の骨もとんでしまつた)をした檢診に形成外科に来ました(このあと口腔外科です。時間がかなりあいてゐるのでブログを書いてゐます。今の病醫のレストランにはコンセントまであるのですね!

 形成外科の醫師との會話(とつてもきれいな方です。女醫さん)。

先生「どうですか?」
私「痛みは全くありません。退院してから一度も痛み止めも飲んでゐませんし。手術前に先生が『術後はかなり痛いですよ。その痛みは、月單位でないと和らいできません。』と仰つてゐたので、覺悟してゐたのですが」

先生「お仕事のお話を聞いて、今囘は、新しい術法で骨が早めに再生するようにしたのですが、これほど、速く効くとは、私自身びつくりしてゐます」
と爆笑されてゐました。

 なんでも、かういふときは、明けた骨の穴はもう埋めないのが普通だそうな。手術が終わつて、穴が開いてゐるのなかあと思って触ってみても、ちゃんとくつついてゐるので「おかしいなあ」と思つてゐました。大したものです。兵庫醫大の形成外科はこの地域でも評判です。

「手術の傷口をみせてください」と云はれて口も腰もみていただきました。

笑いながら「もう大丈夫」と。よかつた。

 今囘の事故で一番心配をかけたのが九十一歳の父です。毎日、佛壇に手を合わせて母に「健を助けてくれ」と禱つてゐたさうです。

 支那の古典 孝行に「身体髪膚、これを父母に受く、あえて毀傷せざるは孝の始め也」

 とあります。両親からもらつた身体に傷をつけないことが親孝行の始まりだ。です。なら、私は子どものころから親不孝の塊です。

 その父が、何んとか自分の人生や考え方を後世に傳へやうと頻繁に手紙を書いてきます。私はその考へを、父からの最後のしつけとしてとらへこのブログに遺します。

 父は、住んでいるマンションの理事長をしてゐます。今囘からその話です。
 8月28日(火)午後4時30分
 
 午後3時から始めた会合で、組織・機構改革に関する理事長の諮問機関(略称・組織改革諮問会議)が発足した。

 7階、6階、4階、3階、各1名の精鋭と理事長・宝徳の5人。

 数次にわたる会合を重ねてきたが、「我々の集まっているこの会合の名前がいるのではないか」とのボクの指摘で「名前」が決まった。

 10月の理事会で大綱を説明。11月4日(日)説明会(集会室)、年明けに臨時総会を予定。つづく

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このページは、宝徳 健が2018年11月 1日 09:57に書いたブログ記事です。

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