明治節(皇紀弐千六百七十八年十一月三)

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 今日は、明治節です。文化の日などといふへんてこりんな名前ではありません。

 なんだか、十一月三日を「明治の日」としやうといふ動きもあるさうですが、違ひます。「明治節」です。憲法とは、國の文化・文明・國體を云ひます。といふことになると、「明治節」は我が國憲法の一つです。「明治節」と呼ぶことが立憲主義にかなひます。

 付け加へておきますが、「憲法とは國民を守るために政府權力を縛るもの」といふ人がたくさんゐます(特に憲法「典」學者たちが)。我が國においては、完全なる誤りです。その考へ方は、フランス革命思想です。國民主權と云ふ言葉も。國民主權とは、「國民は國家を轉覆してもよい」といふ革命思想です。我が國の憲法ではありえません。逆に云ふと、共産党などは、日本と云ふ國家を轉覆してたくてしかたがありませんので、この國民主權 がないと困るのです。憲法と云ふ名の文章でしかない 邪教 日本國憲法は、彼等にとつてなくてはならないのです。

 憲法とは何か、「憲法」と「憲法典」の違ひは何か。をしつかりと理解しないと、おかしなことになります。例へば、産經新聞の「國民の憲法」です。國民の憲法をつくつてどうする。必要なのは、國家の憲法です(特に太古の昔から國民國家であつた憲法先進國 日本では)。かういふのをポピュリズムと云ひます。
 閑話休題。繰り返し述べて參りましたが、「節」と「日」の違ひをもう一度。

 「節」とは、世界で唯一歴史が連續した、人間社會における奇跡の國 我が國 日本において、なが~~~い、歴史の節目を皇室・國民一體となつて祝ひませうね、といふ意味です。

 「日」はその日です。

 「明治の日」としてしまふと、十一月三日その時だけ・・・・、説明できないや。意味が分からなくなります。それに祝日になつてしまひます。明治天皇も今上天皇陛下もそんなことをしてもお喜びになられません。

 明治節とすると、なが~~~い、我が国の歴史の中で、明治と云ふ「節」があつて、そして、大正、昭和、平成の、御代が續いてきたといふことを、皇室・國民一體となつて、お祀りしやうといふ、「祭日」になります。
 
 敗戰後不埒なGHQ(占領軍)が、我が國弱體化のため、祭日を撲滅させ、我が皇室と國民を切り離しました。 わが国再生のためには 祭日と云ふ憲法を復活させる必要があります。なぜならばそれが我が國における立憲主義だからです。

 さあ、もうすぐ新嘗祭です。宮中最大の行事です。三大神勅ぐらいは、日本人なら知つておきませう。

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このページは、宝徳 健が2018年11月 3日 04:30に書いたブログ記事です。

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