母の命(皇紀弐千六百七十八年十一月四日 四)

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 母が叔母に書いた手紙を、先日、叔母の家に泊まつたときに借りてきました。年代別に書こうと思つたのですが、膨大な量なので整理してゐる時間がありません。そうだ!と思ひつきました。切手で判斷すればいい。今日は切手が五円の時の「はがき」です。

 昔の教育を受けた人間はすごい。手紙・・・・。科學技術の發達でいつの間にか失つてしまつた我が國の文化。

 大阪府枚方市牧野に住んでいることです。恐らく父が椎間板ヘルニアで體調を崩しかなり長期療養をしていた頃です。生活は苦しいなんてもんではありませんでした。母の内職のことが書かれてゐますね。すずめのチュンチュン焼きやうずらの焼き鳥を賈ふお金もない時代です。母はまだ病氣にはなつてゐません。母が病氣になつたのは裾野に行つてからです。

 静かな暖かいお正月です。子供達は各自大ぜいお供達を連れて來て(原文ママ)となりの部屋であそんでいます。みゆき(妹)も仲間に入ってたべることに一生懸命です。一日は、ことしこそいくらかでもよい年がおくれる様にと伏見神社へお参りに行ってきました。すごい人で、人波におされてあるいただけでした。途中、すずめのチュンチュン焼き、うずらの焼き鳥がうっていました。買いたいけど買うことも出来ずお参りだけして帰って來ました(原文ママ)。暮れには子供達へのお年玉、洋子ちゃん(叔母の名前)からは、クリスマスのプレゼントほんとうにお気をつかっていただいてありがとうございました。すぐにお礼が書きたかったのですが、たのまれてた編物をしてたら何もすることが出來ませんでした。編物ではじめてお金を手にしたときはうれしくてたまりませんでした。これからはすこしずつでもお金になって行くことでしょう。毛糸を送って下さるとか。たのしみにしています。いつももらってばかりですみませんね。では、お体にお気をつけて。

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このページは、宝徳 健が2018年11月 4日 10:48に書いたブログ記事です。

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