昨日、たまに(笑)コメントをいただくorkさんからラインをいただきました。「昼休みの楽しみをお願いします」と。昼休みに讀んでいただいてゐるのですね。反省。毎日少しずつでもいいから書きます。これを書いたら今年の目標まであと11通です。
それにしても、世の中知らないことばかり。最近、移動が車以外なので本は讀めてゐます。たまらなく素晴らしい本の出版が續いてゐます。また、我が國の敗戰利得者たち アカ により、抹殺されてきた素晴らしい本が、中古本市場で復活してきています。良いことです。あと何年かしたら我が國のルネサンス(再生)が始まります。マスゴミの消滅と共に。
長谷川三千子先生とは、なんと素晴らしい方でせう。一つ一つの著作がずっしりとしてゐます。もう一度何冊か紹介しておきますね。我が國ルネサンスには欠かせない方です。
なんといってもいちおしはこれ。この本については、以前に輕く書きましたが、今、自分なりに檢證してゐるので、いずれ詳しく書きます。涙なしには讀むこと不可能。
これも「神やぶれたまはず」と同樣です。研究中です。
旧約聖書を知りたかつたらこの本です。だいたいの簡單なあら筋を知つてから讀んだ方がいいので、何か漫画のようなものでもいいので、旧約聖書を輕く讀んでから、この本を讀まれてください。私達日本人の感覺では分かりえない、旧約聖書の世界を見事に解説してくれてゐます。解説と云ふ言葉は不適切かもしれませんが。
今、我が國において、「民主主義はくだらない」と云ふ發言をすると糾弾されます。では、聞きます。「民主主義は、なぜ素晴らしいのですか?」。 答えられませんよね。PC(ポリティカル・コレクトネス)で、「民主主義は絶對に素晴らしい」と言わなければだめだとなつてゐます。民主主義とは、革命思想と密接に結びついてゐます。民主主義は衆愚がはびこると國を破戒します。元々、國家の概念など、世界ではたかだか三百年程度。それまで歐州には國家の概念などありませんでした。世界で國民國家の概念が數千年も前からあつたのは、世界で唯一歴史が連續した人間社會の奇跡の國 我が國 日本だけです。「民主主義とは何か」。きちんと自分の言葉で語るようになれる素晴らしい一冊です。
まだ、たくさん著作はあるのですが、今日はここまで。そして、この本の一部から今日のブログのタイトルを説明します。日本國憲法「典」の九条がいかに世界平和を壊す存在かをきちんとした理論で語つてくださつてゐます。憲法「典」九条一項はどの國の憲法でもうたつてゐる不戰条項です。ただし、不戰条項は、「でも惡い奴が出てきたらやつつけるよ」と云ふ意味も持っています。二項が問題なんです。一項で不戰条項をうたいながら、二項で自衛權を放棄している。とんでもない矛盾を抱へてゐるのが二項なんです。これがひとつの二項の矛盾。
矛盾の二番目。自衛權を放棄すると、そこに、軍事的空白が生じてしまひます。特に我が國が存在する東南アジアは、世界で一番軍事が集中してゐる地域です。こんなところに軍事的空白を生じさせると世界は大混亂に陥ります。世界平和を壊してしまひます。
つまり、アクセルとブレーキを同時に踏んでゐるのが日本國憲法「典」の九条なのです。
このことは以前から知つてゐました。
ただ、この本を讀むまで知らなかつたこと。それが、立法主義なのです。
上記のような矛盾を抱えながら、なぜ、立憲主義の本質や憲法と憲法典の違ひさえも知らない、我が國の無能な憲法「典」學者たちは、憲法改正を訴へないのかずつと疑問でした。
長谷川先生の文章をそのまま抜粋します。
「憲法学者の泣きどころ
まさかそんなことはあるはずがない、と思う方も多いでしょう。実際、このことはあまり広く知られわたっている話ではありません。
その原因の一つは、憲法学者というものの習性のうちにあります。憲法学者をはじめ一般に法学者というものは、すでにある法律や憲法を大前提として、それをいかに整合的に解釈するかが自分たちの仕事であると心得ています。「なんだ、この条項は。一項と二項が完全にそっぽを向き合ってるじゃないか。これはただちに片方を削って、きちんとした筋の通る条文にしなければいけない」--そんなセリフは、憲法学者たるもの、決して口に出してはならないのです。そういうセリフは「立法論」と呼ばれて、法学者の間ではもっとも嫌われる論とされています。
つまり、今ある憲法の法律の欠陥をあげつらい、さらにその憲法や法律を「こんなふうに直せ」と主張するのは司法にたずさわる人間達の仕事ではなく、それは「立法府」に身をおく議員たちのつとめである、ということなのです」
これはすごいでしょ。だから國會に憲法「典」學者を呼ぶこと自體が無意味なんです。
目から鱗~。 長谷川先生の本は研究が終わったらどんどん紹介します。
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