つれづれなるままに(皇紀弐千六百七十八年十二月二日 六)

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 これを書いたらブログ年間目標まであと六通。

 本は面白いなあ。今、私の讀み待ちの本が約ニ十冊。「早く遊んでよ~」と叫んでいます。知的好奇心がくすぐられます。

 この本も素晴らしい。

 宮脇淳子先生と倉山満氏です。今、朝鮮半島とこじれてゐます。彼らを徒に憎むことよりも正確に知ってからきちんとやつつけなくてはなりません。朝鮮半島と云ふのは我が國安全保障に欠かせない場所です。日清も日露も朝鮮がしつかりしないために我が國が巻き込まれました。
 それと、朝鮮の歴史をしつかりと學ぶと北朝鮮と南朝鮮は民族が違ふことがはつきりとしてゐます。我が國は、天皇陛下は支配せず、統治(シラス)をしてくださつてゐるので、支配者といふ概念が歴史上殆どありません。しかし、支那・朝鮮半島は、よそから来た支配層(狩猟民族、遊牧民族、商人)が、地場の人間 非支配層(農民 私達にはわからないが、農奴です)を支配する構図です。朝鮮半島では支配する方が両班です。

 「天高く馬肥ゆる秋」とは、食欲の秋ではなく、本當はひどい言葉で、「そろそろ秋の収穫が終わつて遊牧民が来るぞ」と云ふ意味出さうです。こんなこともこの本には書いてゐます。

 弐回目を讀んでゐるのですが、まだ、半分です。良い本は何囘讀み返してもよい。その中で一番面白かったのが、次の文章です。抜粋しますね。

「もともとシナ文明は交易の文明です。生業のまつたく違う異なる人たちが黄河の中流域で出会って物々交換して、互いに違うものを手に入れる。その物々交換のために漢字が発達しました。話し言葉が違っても、漢字は見てわかる。どんな人でも使える。感じさえ覚えていれば商売人になれるというkっユ通文字としての機能があります。

 だからこそ、黄河という、まわりであまりものが豊かにとれない、農耕にあまり向いていないところで感じが発達して黄河文明が生まれ、長江は最初に漢字が発明された場所なのに"長江文明"にならなかった。司馬遷の【史記】がネグってしまった文明が、考古学発掘によって長江領域にあったことがわかってきました。(中略)司馬遷は一切それを言わない。触れない。つまり、ないことにした。自分たちの黄河だけが中心だと書いた。

 なるほどね。我が國は、この記号である感じが傳はつても、四百年ぐらい使ひませんでした。平假名が發明されるまで。偉いですね。私達の祖先は。

自動車保險加入率
 十一月二十七日の産經新聞朝刊より。なんと、兵庫縣では、自動車保險加入率が67.9%だとか。事故に遭うのは交通事故リスクだけではなく、その後の補償リスクもあります。七十歳以上ではなんと60%を下囘つてゐるさうな。加入していないが26.0%。なんとなんとわからないが6.1%。こえぇぇぇ~。

オクトパス
 あっ、そろそろ受験シーズンですね。息子が受験の時に一番好きだったお土産。

 名物の蛸(オクトパス)とかけて、「置くとパス(置いたら合格できる)」です。

嘘を絞り出す技術
 子供のころ、戰爭のとき、「アメリカ軍は京都の歴史を破戒しないために原爆は落とさなかった」と効いて、「へー、アメリカはすごいなあ」と思ひました。同じく、セオドア・ルーズベルトは親日家だと言ふ話を若い時に聞きました。これも全くの嘘です。その理由は日露戦争の講話の經緯をしつかりしればわかります。その後の対日政策も。かいうふ嘘を絞り出す技術が外交で、日本人はすぐに騙されます。支那人の嘘は、もうご存知の通りですが、歐米人も同じです。だつて、「正しい歴史を知っている。それだけで殺す十分な理由になる」がカトリック教會主義なんですもの。まあ、それに乗つて、自國を貶める政治家や朝日新聞には困つたものですが。

 さて、仕事仕事。をはり

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このページは、宝徳 健が2018年12月 2日 13:11に書いたブログ記事です。

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