源氏物語 88(皇紀弐千六百七十八年十二月十二日)

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 このブログから明日のルーティンです。もう少し力をだします。あといくつか書いたら寢ます。しんどいときにどれくらいのことができるか。これを書いたら年間ブログ目標まであと1通です。

 さて、藤原定家が寫本した青表紙本をいろいろな人間が筆寫します。

 その頃になると紫式部が源氏物語を書いてから二百年が經つてゐました。人々が爭つて筆寫してゐるうちに、本文の混乱は極限にまで達してゐました。

 A家に所蔵されてゐる源氏物語と、B家に所蔵されてゐる源氏物語とでは、ストーリーにほとんど違ひはないのですが、細かな表現には無數の違ひが生じました。さて、どんな違ひがあるのでせうか?(これは次囘)

 さて、藤壺→朧月夜ときました。次だれか。

 六条御息所(ろくじょうのみやすどころ)です。かつては東宮夫人(皇太子妃)でしたが、東宮との早い別れによって、未亡人になつてしまひました。

 覺へていらっしゃいますか?夕顔に嫉妬して、生霊になつて出てきた人です。そして、取り殺した人です。

 でも、今は、娘が伊勢神宮になって伊勢に下つていつたのについていつてゐます。

 わざわざ使ひが須磨まで来たりして、連綿たるラブレター、あい變はらず見事な筆跡・・・。

「あの人にはすまないことをしたなあ。やつぱり素敵な人だなあ」

と、返事を書きまくります。

 さあて、次の女性は誰かなあ。 つづく

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このページは、宝徳 健が2018年12月11日 19:37に書いたブログ記事です。

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