住吉っさん 7(皇紀弐千六百七十八年十二月二十四日 四)

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 神功皇后の紹介を終はりました。福岡縣に宇美といふ土地があります。神宮皇后が、應神天皇を産んだところです。宇美八幡宮があります。産んだから「宇美 うみ」です。


 なぜ八幡宮か。應神天皇は、八幡神(はちまんかみ)といつて、八幡樣そのものだからです。

 さて、いよいよ住吉っさん。全國各地にある住吉神社です。

「是(こ)は天照大神の御心ぞ。また底筒男(そこつつのを)、中筒男(なかつつのを)、上筒男(うえつつのを)三柱の大神ぞ」。

 この三柱が住吉の神です。イザナギノミコトの禊の際に生まれました。
 古事記では、十四代仲哀天皇(神功皇后は仲哀天皇の皇后)の崩御と神託で登場します。

 神功皇后(息長帯日賣命(おきながたらしひめのみこと これを説明したかったから ヤマトを救った琵琶湖の女神を六回も説明しました(笑))は、神がかりなところがありました。西方の寳の國を帰属させよとの宣託した神が住吉三神を名乘りました。仲哀天皇は、九州南部の熊襲征伐にこだわってこの宣託を疑いました。そのために崩御します。

 神功皇后は、神の言葉に從ひ、仲哀天皇に代わつて新羅親征を決意します。つづく

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このページは、宝徳 健が2018年12月24日 08:11に書いたブログ記事です。

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