住吉っさん 8(皇紀弐千六百七十八年十二月二十八日 弐)

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 「故(かれ)つぶさに教へを覺(さと)しの如く、軍(いくさ)を整へ、船を双(な)め、度(わた)り幸(い)でます時に、海原(うなはら)の魚、大き小さきを問はず、悉(ことごと)く御船(みふね)を負ひて渡る」

 神功皇后が住吉三神の教へ通り、軍勢を整へ、船を並べて渡海すると、すべての魚が船を背負つて進んだ、です。

 追い風が吹き起り、船は並に乘つて大波は新羅の国土の半ばまで來ました。
 古事記ではかうかかれてゐますが、博多の住吉神社には、途中の苦難や危機に際し、神功皇后が、禱りをささげると、神の助けがあつたと傳はつてゐます。

 「およほそ此(こ)の國は、汝(いまし)命(みこと)の御腹に坐(いま)す御子の知らさむ國ぞ」

 古事記はかう書きます。意味は、住吉三神が次の天皇を決め、その子を宿した皇后を幾重にも加護しました。

 博多を少し南に行つたところに那珂川といふ土地があります。そこにあるのが「現人(あらひと)神社」。


 神功皇后 御親政征の帰路、船主に住吉三神が老人の姿で現れて嵐と荒波を鎮め、軍船の水先案内として導き助けたのがこの神社の由來です。

 神功皇后が帰還後、宣託で住吉三神の所在を尋ねたところ、この神社の地を示したために、重臣(建内宿祢 たけうちのすくね)を派遣して「現人大明神」の尊号を受けました。

 當時の航海は命がけです。なので、安全を守る霊驗は何より重視されました。その役割を担つたのが住吉三神です。 つづく

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このページは、宝徳 健が2018年12月29日 06:15に書いたブログ記事です。

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