源氏物語 青表紙本と河内本の違いをみてゐます。
青表紙本では、「花にも喩へられないからこそ、桐壺の更衣の美しさは楊貴妃よりも素晴らしい」と表現したかった紫式部の意図をあらはしてゐます。
ところが、先日、ご紹介した河内本の表現では、「女郎花や撫子に寄りかかってゐる」表現です。身も蓋もない自己矛盾です。
中世においては、當初は、河内本が優勢であるぐらいに、青表紙本と河内本は並び立つたさうです。でも、時代の流れがおのずと淘汰して、江戸時代からあ、青表紙本一邊倒になつたさうな。
藤原定家の見識と鑑識眼の勝ち~。
もし、紫式部の原本が残つてゐたら、世紀の大發見ですね。そうしたら、原本と青表紙本との違ひがわかりますね。ドキドキ。でも、青表紙本があるから、私達は今、いろんなパターンの源氏物語と触れることができます。
さて、本文のつづきです。三位の中將(頭の中將 とうのちゅうじょう)が須磨に遊びに来てくれました。亡くなつた光源氏の正妻 葵の上の兄であり、左大臣の息子でもあります。光源氏の大親友です。
光源氏は精一杯のもてなしをしますが、この大親友さえ、世評を恐れて長く滞在はしませんでした。
さあ、いよいよ第十三帖「明石」です。新年は明石から書きませう。
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