源氏物語 92(皇紀弐千六百七十八年十二月三十一日 四)

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 源氏物語 青表紙本と河内本の違いをみてゐます。

 青表紙本では、「花にも喩へられないからこそ、桐壺の更衣の美しさは楊貴妃よりも素晴らしい」と表現したかった紫式部の意図をあらはしてゐます。

 ところが、先日、ご紹介した河内本の表現では、「女郎花や撫子に寄りかかってゐる」表現です。身も蓋もない自己矛盾です。

 中世においては、當初は、河内本が優勢であるぐらいに、青表紙本と河内本は並び立つたさうです。でも、時代の流れがおのずと淘汰して、江戸時代からあ、青表紙本一邊倒になつたさうな。

 藤原定家の見識と鑑識眼の勝ち~。

 もし、紫式部の原本が残つてゐたら、世紀の大發見ですね。そうしたら、原本と青表紙本との違ひがわかりますね。ドキドキ。でも、青表紙本があるから、私達は今、いろんなパターンの源氏物語と触れることができます。

 さて、本文のつづきです。三位の中將(頭の中將 とうのちゅうじょう)が須磨に遊びに来てくれました。亡くなつた光源氏の正妻 葵の上の兄であり、左大臣の息子でもあります。光源氏の大親友です。

 光源氏は精一杯のもてなしをしますが、この大親友さえ、世評を恐れて長く滞在はしませんでした。

 さあ、いよいよ第十三帖「明石」です。新年は明石から書きませう。
 

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このページは、宝徳 健が2018年12月31日 07:13に書いたブログ記事です。

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