2019年1月アーカイブ
七福神は、「大黒天」「毘沙門天」「弁財天」「布袋」「壽老人」「福禄壽」「恵比壽」です。
この中で、日本の神さまは、恵比壽だけです。
みなさん、「えびすかき」つてご存知ですか? えべす神の人形を操って神德を藝能です。むか~し、むか~しのものなのですが、なんと平成十九年から再興されたのです。日本人は素晴らしいなあ。
続きを読む: えべっさん 3(皇紀弐千六百七十九年一月三十一日 參)
今は二十四節氣 大寒(だいかん)です。一年で一番寒さが嚴しい頃です。他の地域でもあるのでせうが、私が育つた博多では、この時期は三寒四温がはつきりとしています。三日寒くなつて、四日温かくなる。
この時期の博多は、低く厚い雲がたれこめます。日本海側はたいていそうですね。でも、魚が一番おいしい時期です。
さて、七十二候は。
続きを読む: 鶏始乳(皇紀弐千六百七十九年一月三十一日 弐)
參りますね。やはり、男性は女性にかなわない。女性は、「妻」「母」「主婦」「仕事」などなど、を一度にこなせます。マルチグレードなんです。料理でも家事でも、複数を同時のこなす。男には無理です。
男が女に勝つてゐるのは、全体を俯瞰する能力と何があっても前に進む力だけです。でも、最近はこの「男の唯一の優位性」を世間が否定します。世間が男に女を求めます。ジェンダーフリーといふ危険な思想で。
男の唯一の使命は、「女・子供」を護ることです。だから、力をつける。護り方はいろいろあるでせうが、だから、仕事をする。だから、身体を鍛える・・・・。
その教育を今の日本はしてゐない。
本題の戻ります。樹木希林さん。素敵ですね。女性はすごいなあ。男性があこがれるはずです。
私は、西宮市鳴尾町に住んでゐます。
昔々、鳴尾の漁師が沖合の和田岬(神戸の方でかなり離れてゐますが)で、「神像のやうなもの」を引き上げて家に祀りました。
ある夜・・・・
続きを読む: えべっさん 2(皇紀弐千六百七十九年一月三十日 弐)
初めての方もいらっしゃるので、なぜ「千夜一夜」かのご説明をします。「千夜一夜物語(アラビアンナイト)」をもじつてゐます。アラジンの魔法のランプやアリババと〇〇人の盗賊(何人かは忘れました)など、日本でもおなじみの話が掲載されているイスラムの物語です。我が國で讀みたければバートン版がいいでせう。
アラビアンナイトはなぜ「千夜」なのか。ある國の王樣が、用事があつてでかけました(かなりはしょってゐます)。「おっと、忘れ物をしてしまつた」と取りに戻ると、王妃が、奴隷黒人とセックスをしてゐました。王樣は激怒して王妃と奴隷を殺します。「もう、女なんて信じられんわい」と思ひ込んでしまつた、王樣は、毎夜、國中の処女を召し、セックスをした後で殺してしまひます。もう、國中に処女がいなくなつたので、大臣が仕方がなく自分の姉妹を差し出します。その姉がこれまた聡明。
エッチの前かどうかは忘れましたが、王樣に面白い話をします。王樣は、次の日もその續きや新しい話を聞きたいので、その姉を殺しませんでした。次々に娘は、面白い話をして、なんと、千夜(つまり、たくさんといふこと)の話をしてつひに王樣を改心させてしまひます。娘の名前を
シャーラザッド
と云ひます。さて、私はみなさんのシャーラザッドになれるでせうか(みなさんとエッチはしませんが(笑))
でも、今囘ご紹介する本は、まさに眠れぬ夜を過ごすぐらいの面白く、そして、人生のためになるものです。
先日、大物理學者がなくなりました。その時にこんな記事が新聞に載りました。
続きを読む: 千夜一冊物語 8(皇紀弐千六百七十九年一月三十日)
今囘はこれ!!!
これは奈良篇。他の地域のも出版されてゐますが、なんといってもこれ!!!寺は京都より奈良がいい。早く全部まわりたいなあ。室生寺、長谷寺、唐招提寺、秋篠寺、法隆寺、中宮寺、飛鳥寺、當麻寺、東大寺。 司馬遼太郎の海道がゆくよりよほど面白い。 五木先生の本はどれもとてもためになります。
高校生の時に、先生の「青春の門」を讀みました。當時は、プレイボーイといふ週刊誌がエロ本の部類でした。映画雑誌 明星なんてのもドキドキしながら讀みました。そんななかで、清秋を舞臺にした大胆な本。面白かったなあ。
キャッシュレス
「我が國はキャッシュレスが遅れてゐる」。かういふ喧しい意見が溢れてゐます。まあ、確かにそうですが、本質を考えたら、我が國が信用社會だからでせう? 確かに「俗に云ふ、『國際化』」を考へ、そして、國家安全保障(外國人訪問者がたくさんいる國は攻めにくい)を考へると、この「俗に云ふ、『國際化』」からすれば正しいのでせう。
ただ、裏を返せば、日本も不信用社會にしろといふことです。一度この本をお讀みください。
私はあまりよく知らないのですが、なんとかペイといふ、そのキャッシュレスソフトをクリックするたびに、個人情報が吸い上げられてゐるさうです。誰に? 支那共産党に。
流行とは・・・・・。だいたいインターネットをなぜクリントンが解放したか。スパイのためです。これが世界では当たり前なのに、我が國では、安全保障を考へずに「國際化」とのたまいます。
ノー天氣な國です。明治期の軍人たちに笑はれます。
続きを読む: つれづれなるままに(皇紀弐千六百七十九年一月二十九日)
第一次安倍政權のときでしたっけ、支那と歴史認識の合同會議がもたれたのは? むだなことをするな~と思ひました。
まあ、我が國の歴史學者なんて、ほとんど信じてはいけなません。そんな自虐的人間たちが、同矢つて攻め込んでやらうと考へてゐる、支那と何故、歴史協議をするのか。
そんな我が國の歴史學會・歴史學者だ多いので、邪馬台国論争なんて不毛な議論が起きます。あそびならいいですがね。それが、敗戰後の我が國の不埒な過つた教育につながり、子供たちの心を侵します。
この邪馬台國の支那の扱い方は歴史ねつ造のよい例です。
昨日紹介した、この本。
これは素晴らしい。夫婦関關係だけではなく、人間關係を整へる本です。
続きを読む: 千夜一冊物語 6(皇紀弐千六百七十九年一月二十八日 參)
昨日は整體に行きました。帰りに、甲子園駅の隣にあるイオン 地下1回本屋へ。「へ~、こんなところに本屋があるんだ」。接客も素晴らしい。品ぞろえも。品揃え不足を補う策も。いいじゃん!!! やはり、ネットで賈ふより、本や散策の方がいいですね。さつそく 本たちが
「今まで何していたんだよ。ネットのよい女でもいたのか?」
「そうよそうよ、この浮気もの! さあ、今日は私を賈ふんでせう?」
「いや、おれだよ!なあ、そうだろう?!」
「なにを言ってんのよ!」
※みなさん、これ信じないかもしれませんが、本當なんですよ。事務所の書斎に言っても「なぜ、私を讀まなんだ!!!!」の叫び聲が溢れます。
ネットより本屋が好きです。最近、街から本屋が消えてゐくのが悲しくて仕方がありません。でも、本屋に行くと、親友や彼女が、かうやつて叫ぶので、つい、賈ひすぎます(笑)。昨日賈つた本の紹介。詳しくは千夜一冊物語で紹介します。
続きを読む: 本つれづれ(皇紀弐千六百七十九年一月二十八日 參)
抄録1 人生の明暗
世の中のことは、つねに思うがままにはならないものである。人が煩悩を断ち切れない凡夫でしかないように、世間もまた清く正しい浄土ではありえない[親鸞 完結編]
光源氏は、逢瀬が不可能に近ければ近いほど、戀心を燃え上がらせました。父である桐壺帝のお后 藤壺との愛は、タブー中のタブーです。普通の男なら最初からあきらめます。
藤原定家も後白河院の皇女 式子内親王へのタブーに満ちた愛の傳説が傳へられてゐます。
でも、定家のそれは、あくまでも傳説。定家にとつての永遠の戀人は、生身の女性ではなく、二百年前の王朝文化と云ふ滅びつつある美でした。しかも、その本質にたどり着くのは困難なほどに、社会基盤や言語が隔絶してゐました。この距離感が定家を燃え上がらせたのです。
ふたりとも、超人的なロマンシストですね。今の世の中はつまらない。みんな標準化だのコンプライアンスだの。でも、私達も「今、ここ」を少しだけ抜け出して、本當の日本と云ふ心の故郷を訪ねてみたいものです。でないと、この素晴らしい日本の文明など触れることさへできません。
さて、本文。
続きを読む: 源氏物語 97(皇紀弐千六百七十九年一月二十八日)
こんなペースで千夜を過ごしたラシャーラザッドに殺されさうですね(笑)。
ノーコメント。でも、世の夫には絶對におすすめです。なるほど~。これで少しは私も大人になれそうです(笑)。でも、奥さまにみせたら手の内ばれまっせ!
すごかったですね~。大阪なおみさん。全豪オープン優勝おめでたうございます。昨日TVで觀てゐましたが、ハラハラ・ドキドキ。優勝した瞬間は、涙がとまりませんでした。今朝、ほぼ全紙賈ひました。スポーツ新聞も。讀みながらまたなきました。本當いおめでたうございます。
いろいろ理屈つけずに(笑)。お祝いを述べさせてもらひます。
日刊スポーツ記事より。
日本語
爪痕を残す
年末の全國高校ラグビー(花園)で報徳學園が勝ったときのことです。翌日の新聞に報徳學園ラグビー部主将の言葉が掲載されてゐました。「これで、花園に爪痕を残すことが出来た」。「爪痕を残す」って「ただいなる被害を残す」ことですよね???? 私が間違ってゐます? と、思つて(たまにしかみませんが)TVを觀てゐると同じやにつかつてゐるケースが・・・・。頭がおかしくなります。
すごすぎて開いた口が塞がらない
なんの番組だったか忘れました。年末年始は比較的多くTVを觀るので・・・。何か素晴らしいことが起きた時のことです。誰が言ったのかも忘れましたが、「すごすぎて、開いた口が塞がらない」と!!!! お雑煮やお節が腹の中から出てきそうなぐらいびつくりしました。「開いた口が塞がらない」とは、相手の態度や行動にあきれてものが言えない状態です。 お正月の番組は、わざと私たちを笑わせてくれてゐるのでせうか???
經濟學(?)にゲーム理論と云ふのがあります。心理學のゲーム分析とは違ひまるのご注意。
この理論、とても面白いのですが慣れるまでは頭をフル囘轉させる必要があるので、勉強していて、頭が痛くなります(笑)。このブログにも關連記事をいくつか書いてゐますので、ご興味のある方は檢索ください。
今、韓國がひどい状況にあります。我が國に對する開き直りをこのゲーム理論の「繰り返しゲーム」と云ひます。それを我が國はどう扱へばいいかをこの記事の最後に書くとして(わかりやすく)、韓國は今、内政でも大變な状況にあります。
左派勢力が暴力によって弾壓されてゐます。
続きを読む: 繰り返しゲーム(皇紀弐千六百七十九年一月二十七日)
総督が「何か面白いことを話したら許してやろう」と言つたところまででした。
こうなつたら、何か面白い話をして総督の機嫌をとるしかありません。
まずは、仲賈人です。
田中英道先生はかう仰います。
「『魏志倭人伝』の記述はもともとおかしいのです。すでに千冊以上出版されているという、これまでの日本の「邪馬台国」論争のどれを読んでもわかることがあります。すべて『魏志倭人伝』を様々に解釈し合っているにすぎないということです」
抄録1 人生の明暗
食べられる人が悩むんだ、と。それだけ、動物のなのかなと思ったりもするんですが。まず、食べていける、寝る場所があるということのありがたさを、もういっぺん思い出したい。そうなんだ、これは奇跡みたいなすごいことなんだということを、ちゃんと考え直してもらいたいなと思います。[生きる言葉/松浦理英子との対談]
あ~、出張ディフェンス失敗( ;∀;)。今年の大きな課題ですね。さあ、今日と云ふ日を有効に使います。
藤原定家は源氏物語の二百年前の本文復元と云ふ情熱を持つてゐました。二百年前と云ふと、どんな感覺か。今が西暦2019年ですから、1800年頃が二百年前です。
皇紀弐千四百八十年ぐらい。寛政年間の手前ぐらいです。家斉の治世です。
私たち日本人に今、そのころなくなつてしまつた文學の本文を復元白と言つたら匙を投げるでせう。
定家の情熱はどこからきたのでせうか? それは、光源氏の生き方も關係してゐるのです。つづく
では、本文のつづきです。
明石入道のことが氣になつた光源氏は、明石入道に会いに行くことにし、迎への船に乘り込みます。
続きを読む: 源氏物語 96(皇紀弐千六百七十九年一月十四日)
今日は、小浜日帰りで、事務所で徹夜仕事です。明日から、あちらこちらに行きます。行くのはいいのですが、自分のディフェンスが亂れないやうに、以下の目標を設定しやりあげます。
本:10冊以上(移動中)
勉強:1つ(移動中)
ブログ:10通以上
手紙:50通以上
仕事がある時や出張の時は主に「つれづれなるままに」を書くことにします。
政治家
誉めるわけでもないし、嫌いな人間です。金正恩(きんせいおん)。だけど、體制を守るのに必死です。大國 アメリカと支那共産党を手玉に取つてゐます。悔しいけれどくこれが政治です。行政ではありません。
あの東京都23区の結構大きいひとつの區ぐらいしかないGDPが北朝鮮です。それをたったひとつ 政治力だけで大國を手玉に取るのです。
翻って日本。攫われた十四歳の女の子さえ取り返すことが出来ません。いえ、國民に取り返す氣さえありません(本來なら、武力を使ってでも取り返せと叫ぶのが國民です)。これが 邪教 日本國憲法「典」の 平和主義とかいふやつです。自分だけ平和なら他人のことは放っておきなさい、といふ理念です。
世界はどちらが常識があると見ますか? 國民がさらわれても助けもしない國と、自國を懸命に守ろうとする國。 北朝鮮と國交を結んでゐる國が150か国弱あることをみてもわかるでせう。今は安倍さんの外交力(と彼が作った經濟力)でもつてゐだけです。安倍さんが外交をする際に軍事力も與へないで。
正恩は「新しい核兵器は造らない」と云ひました。「おおそうか」と云ふ政治家もいてびつくりしてしまひます。「今までの核兵器はつかう」といふ意味です。
続きを読む: つれづれなるままに(皇紀弐千六百七十九年一月七日)
もうすぐ十日えびすですね~。樂しみ。
でも、えびすさんって誰??? 私は、西宮神社が 全國えびすさんの総本山だとずつと思つてきました。でも、違ふやうです。
古事記を知らないとよく理解できないかもしれませんので、最初に簡單に解説を。本當に簡單にですよ。ただし、我が國の在り方を示す重要なことです。
続きを読む: えべっさん 1(皇紀弐千六百七十八年一月六日 五)
髙校時代 ダンテの神曲 と、歴史の授業で習いました。でも、なんのことかさっぱりわからず、「ダンテ 神曲」とだけ覺へて試驗の答案に書きました。これが我が國の教育のくだらなさです。恐らく歴史の先生も讀んだことはないのでせう。
まあ、難解なダンテ 神曲を讀まうといふモチベーションはなかなかおきないでせう。
阿刀田高さんは、天才ですね。源氏物語でもかなり阿刀田高さんの本を參考にしてゐます。
まあ、解説だけでも大變な量になります。それをよくこんなに面白く簡單にまとめられるものです。尊敬します。難解な本のあらすじを面白く知りたければ阿刀田髙さんの本に限ります。
続きを読む: 千夜一冊物語 4(皇紀弐千六百七十九年一月五日 四)
書いてゐると吐きさうになりますが、韓國のパクの言ふ嘘は、嘘だらけです(氣分があるから割愛)。つまり、魏志倭人傳をみると、何がなんだかわからなくなります。まあ、當時の支那人が、そんなに日本に興味があるはずがありません。「まあ、このぐらいにしておけ。どうでもいいや」ぐらいのものを血眼になつて研究してゐます。まつたく、我が國の支那信望には呆れてしまひます。
しかし、魏志倭人傳には、パクとまつたく違ふことがかかれてゐます。
抄録1 人生の明暗
最悪の経験を持っている人間にも、それなりのプラスがないわけではない。<あの時に比べれば―>と、思うことで、かなりの悪条件にも耐えることができるからである。戦後の記憶には、ひどい記憶もかなりある。それを忘れてしまうことは、幸せかもしれないが、また一面のマイナスもあるのではないか。
源氏物語の中に
「なくてぞ」とは、かかる折(をり)にや、と見えたり(なくてぞ、って、かういふ時に使ふ言葉なのね)
といふ言葉があります。私達のやうな敗戰後のくだらない教育、つまり、「敗戰前の日本はすべてが惡だつた」といふ歴史分斷、日本破戒教育を受けた者は、この短い言葉に何の意味も感じず、讀み飛ばし、そして、「意味が分からないなあ」と意味が分からないのを自分ではなく源氏物語の責任にしてしまひます。
ある時は ありのすさびに 憎かりき なくてぞ人は 戀しかりける
古歌です。
続きを読む: 源氏物語 95(皇紀弐千六百七十九年一月六日)
これを書くのを忘れてゐました。
マイナス思考の極みから出発したゴーダマは、少なくとも微笑みながら病で死んだ。その臨終の物語は、彼が自分の上に影をおとす樹々の姿を「世界はすばらしい」と讃えつつ自然に還っていったことを述べている。最大の否定から最高の肯定へ、マイナス思考のどん底から出発して、プラス思考の極致に達して世を去った人間だからこそ、二千年後のいまも、多くの人びとはブッダの生涯に熱い心を寄せるのではあるまいか。
ブッダ:釈尊です。
今からHPの方にもコンサルブログを2通書くので、今日で31通となります。年間目標1,000通に対して
残りあと、969通。読書は5冊。あと、215冊(目標220冊)。手紙は23通。あと、2,777通です(目標3,000通)。
今年九十二歳になる父が、頻繁に手紙を送ってきます。自分の人生、自分の考へ方、自分が今考経てゐること、を遺そう(残そうではない)としてゐます。私は父をこのブログに遺します。
オルファのつづきです。
続きを読む: 命の手紙 137(皇紀弐千六百七十九年一月五日 六)
市場の番人がやつてきました。「おい、ちょっと來い」
仲賈人は総督の家に連れていかれました。簡單な事情徴収のすえなんと絞首刑!たちまち執行人がやつてきて、絞首臺へ。
だが、いよいよ刑の執行が決まった瞬間に現物人の群衆の中から、
「待ってください。その男を殺したのは私です」
と料理人。そんなことあるの?と私たちは思ひますが、古代イスラムの世界では、人は欺けても神の裁きは逃れられません。
料理人が事情を述べてゐると、
「待ってください。その男を殺したのは私です」
と、醫者。次は仕立て屋。と次々。総督は困り果てます。
「一番けしからんのは魚の骨じゃが、これを罰するわけにはいかん。お前たちはみんなそれぞれに人殺しをごまかそうとしたのだから、連帯責任じゃ。ただし、私に面白い話を聞かせてくれたら許してやろう」
なんじゃい、いつたいこれは(笑)。まあ、これが千夜一夜物語の面白さです。この連續する面白さのために王樣は、シャーラザッドを殺さなかったのでせう。
この話の本番はここからなのです(笑)。 つづく
福岡県福岡市東区香椎に 香椎宮といふとても素晴らしいお宮があります。
最近の私(笑)。
室谷克美氏といふ韓国の専門ジャーナリストがゐます。室谷氏の「日朝古代史 嘘の起源」と云ふ本があります。
その中で、韓国學中央研究院名譽教授のパク・ソンス氏の見解が紹介されてゐます。
今日は、この本。
これは面白い。へ~、三波春夫さん、こんな本を書いてゐたんだ~、ととても新鮮に感じる内容です。初版はなんと平成三年(1991年)です。もう二十八年前です。
続きを読む: 千夜一冊物語 3(皇紀弐千六百七十九年一月五日 弐)
今日から、二十四節氣 小寒(しょうかん)です。 小寒とは寒の入りです。これからますます寒くなります。小寒から節分までの三十日間を「寒の内」と云ひます。小寒が明けると立春です。
冬至が一番夜が長い日。その日を境に 陰から陽へと移りますが、小寒からまた寒くなるといふ陰が深まるやうに私たちは感じます。
人の生き方も、まだ陽だと言つてはしゃいでいると、いつの間にか陰に向かってゐたり、まだ陰だとふさぎ込んで陽に轉じてゐるのに氣づかずに、準備を怠ると出遅れます。易經とは兆しの學問。氣をつけたいですね。
そして、七十二候は、小寒 初候 芹乃榮です。
続きを読む: 芹乃榮(皇紀弐千六百七十八年一月五日)
「吾(あ)が和魂、大津の渟中倉(ぬなくら)の長狭(ながお)に居(ま)さしむべし」
日本書紀では、住吉三神が、神功皇后に、摂津に祭るやうに諭したと記します。「渟中倉(ぬなくら)の長狭(ながお)に居(ま)さしむべし」」の地が現在の住吉大社です。
続きを読む: 住吉っさん 9(皇紀弐千六百七十九年一月四日 五)
「邪馬臺國」「卑弥呼」。すべて蔑称です。こんな、我が國を馬鹿にしたことになんで多くの人が血眼になって研究してゐるのだらう???? これは、田中先生が書かれてゐるだけではなく、私もずつと思ってゐました。これも、私が邪馬臺國に興味を持たなかつた理由かもしれません。
支那大陸の支配者がもつ共通感覺ですね。相手を平等に直視しない態度。
その蔑称をむしろ好んで使ふ、何と表現していいかわらかない我が國の學者たち。これも敗戰後の自虐觀のひとつなのでせうか? それとも、敗戰利得者たちの儲けにつながってゐるのでせうか?
ばかばかしくて語る氣にもなりませんが、韓國の學者が魏志倭人傳を讀むと、我が國は、かつて百済の植民地だつたことになるさうです。次囘は、この愚かなることについてお付き合いください。
抄録1 人生の明暗
絶望の深さはまたその人の世界と人間への信頼の深さをそのままあらわしている。人間嫌いが、実は限りない人間好きの業の深さからもたらされるように[林達夫『歴史の暮方』解説より]
あなたを、讀書で夜眠れない人にしてあげませう(笑)。
続きを読む: 千夜一冊物語 2(皇紀弐千六百七十九年一月四日 弐)
中国で 中国美人を 見かけたり 絶海中津で 愛を叫べり
三宅勇介といふ人の歌です。
「絶海中津」は「ぜっかいちゅうしん」と讀みます。室町時代の禪僧のことです。五山文學の代表者です。なぜ、この歌に絶海中津が出てくるか。これは、三宅といふ人のパロディです。ベストセラー小説「世界の中心で、愛を叫ぶ」→「せかいのちゅうしん」→「ぜっかいちゅうしん」です。
この歌は、出た當時は、かなり有名で、日本人の中にもこのパロディを理解する人はたくさんゐました。
でも、今はどうでせう?この解説を聞かないとわかりませんよね。私も最初意味不明でした。
文化と云ふのは、その時の國民の教養により、どんどんすたれていくのです。
源氏物語は、藤原定家の時代には(今の私達のやうにここまでひどくなかつたでせうが)、さういふ変革期に差し掛かつていたのでせう。だから、源氏物語が讀めない。讀めないのを自分の教養のなさのせいではなく、源氏物語のせいにしてしまふ風潮が今、あるのです。 例えば・・・ つづく
本文です。明石入道の使ひが光源氏の館までやつてきたところまででした。
続きを読む: 源氏物語 94(皇紀弐千六百七十九年一月四日)
この記事で、このブログ15通、HPブログが3通なので、合計18通。年間目標は1,000通。残り982通です。
今年は、毎日ブログを書いて、途中でストップしている連載物少しずつ復活させていきます。
これも久しぶりです。だた、サイコパスは途切れてもテーマとして取り組みやすいのでぜひ讀んでください。
今日からのテーマは衝動的
続きを読む: サイコパス 8(皇紀弐千六百七十九年一月三日 六)
前囘は、長門國 一宮 住吉神社 をご紹介しました。
今囘は、長門國 二宮 忌宮(いみのみや)神社です。ここには外敵襲來の傳承があります。
続きを読む: 住吉っさん 8(皇紀弐千六百七十九年一月三日 五)
刃物の概念を変えたOLFA(オルファ)つづき
良男が10歳の時(昭和19年)、空襲で家も向上も失い一家は南紀の白浜に疎開。良男は家計を助けるために、旧制中学を中退し働きに出ました。最初の仕事は電気の見習い工でした。
その時の電気工の仕事で、いろんな道具を使った経験が後のオルファカッターづくりに役立ちました。
続きを読む: 命の手紙 136(皇紀弐千六百七十九年一月三日 四)
「魏志倭人傳」といふのは「三國志」の一部分です。私達が知つてゐる三國志は、「三國志演義」といつて、面白く戯曲風に脚色したものです。蜀の劉備玄徳と諸葛亮孔明が美化されすぎてゐます。
例えば「泣いて馬謖(ばしょうく)を斬る」といふ言葉がありますが、これは本當は、自分の地位を脅かす優秀な馬謖を諸葛亮孔明がうとましく思ひ、わざと戰に敗ける作戰を與へて、その責任を取らせ殺してしまつただけです。泣いたのはその場を繕ふため。大きな權力をもつた孔明を誰も非難できません。
西暦184年の黄巾の亂で「漢」が亂れたから280年に西晋が再統一するまでの、約100年間の覇權を爭つた「魏」「呉」「蜀」の三國をさしてゐます。
光なくしては影がない。また、影がない世界では光も見えない。それと同じように、現実は非現実の存在なくしてはありえない。[百寺巡礼1/奈良]
料理人も自分がせむしの男を殺したと勘違ひしてしまひました。
千夜一夜物語(アラビアンナイト)は、妻に裏切られ女性不信に陥った王樣の心をなだめるため、大臣の娘シャーラザッドが、王樣に毎夜抱かれるときに、面白い話をするというストーリーです。それまでは、國中の処女を毎夜抱いたあと、その子を殺してゐた王樣ですが、シャーラザッドの話があまりにも面白いので、次の夜も話しを聞きたいと、王樣は、シャーラザッドを殺しません。たくさん(千夜)話を聞いた王樣は、心を改めシャーラザッドを愛します。シャーラザッドは王樣の子を身ごもります。
とても面白いですね~。
さて、千夜一冊物語。私が讀んだ本、讀んでゐる本で、面白いのを記事を書くたびに紹介します。みなさんを讀書漬けにするために(笑)。
続きを読む: 千夜一冊物語(皇紀弐千六百七十九年一月三日)
大晦日の記事を再掲します。
昨日の讀賣新聞の記事はひどいですね。これを何も考へずに讀んでしまふ人は、我が國のことがわかつてゐない人です。非立憲です。
繰り返し書いてきましたが、憲法とは「国柄・歴史・文化・文明・風俗・習慣」です。その國が培ってきたものです。それを文章化したものが「憲法典」です。つまり日本國憲法は憲法典です。では、この憲法と云ふ名の文章でしかない 邪教 日本國憲法「典」は、本來の意味の憲法をあらはしてゐるのでせうか?答えははつきりしてゐます。
NO!!!
です。 つまり、邪教 日本國憲法「典」自身が立憲主義に違反しゐるのです。憲法違反なのです。
よく、憲法とは「權力を縛るもの」といふ人がゐます。完全にフランス革命から來てゐます。そうであるなら、そんな國は、權力を縛らないと國家運営ができない歴史ばかり送つてきた國といふことです。世界で唯一歴史が連續した人間社會の奇跡に國 我が國日本では、そんなものが当てはまるはずがありません。我が國は、世界最古の國民國家です。
長くなりましたので、なぜこの新聞記事が愚かかは明日、元日にご説明します。つづく
秋篠宮樣が、大嘗祭のお金を別にした方がいい御發言されました。それについて、俗に言ふ識者があれこれ言ってゐます。なんとまあ、愚かな。
「憲法」といふ觀點から云へば、我が國で正しいのは、憲典體制です。つまり、憲法典と皇室典範は同列で互いに補完し合ふものであるといふこと。これが正しい我が國の在り方なのです。この事實からみても、邪教 日本國憲法「典」が憲法違反であることがわかります。
皇室典範は、天皇家の家法です。そこに口をあまり出さないでくれと秋篠宮樣は仰つてゐます。口を出すと官僚が出張つて来て、これまた「憲法違反」をします。それは後日。今囘の記事も如實にそれをあらはしてゐます。
今囘、天皇陛下が譲位されるのも暗にそのことを仰つてゐます。だから、象徴天皇の在り方を模索されることは大變なことだつたと推察されます。
憲法違反の憲法「典」に從はうとされた陛下の苦しさ
國民は不勉強さを猛省する必要があります。
こんなことを堂々と記事にする讀賣新聞もどうかしてゐます。愚か極まりありません。さすが御用新聞です。
では、解説します。
紫式部は、現代のわれわれには考へられないぐらいの教養人です。
「史記」などの支那の歴史書、「長恨歌」「白文集(しろもんじゅう)」などの漢詩文、「日本書記」などの歴史書、「古今和歌集」などの和歌、「法華經」などの經典などが、紫式部の頭の中にぎつしり詰まつてゐました。
なんと、それらが自由自在に取り出されて源氏物語の中に織り込まれていったのです(源氏物語ものがたり 島内景二)。
紫式部の時代には、かういふ教養は、ある程度當たり前でした。だから、現代人の私達は源氏物語を讀むことはできません。それは現代に限りません。紫式部没後二百年經つたときもさうでした。
こんな歌があります。
中國で 中國美人を 見かけたり 絶海中津で 愛を叫べり
さて、この和歌にはどんな意味があるのでせうか。
では、本文を。第十三帖 明石です。
続きを読む: 源氏物語 93(皇紀弐千六百七十九年一月二日 五)
涙腺崩壊!!!
続きを読む: 釜石の夢(皇紀弐千六百七十九年一月二日 四)
前囘書いたものを再掲しますね。
私は年間二百二十冊以上の本を讀みます。ジャンルは多岐にわたりますが、歴史や古典の占める割合がかなり多くなつてゐます。これを十五年以上続けてゐますので、三千冊は讀んでゐます。だけど、これまで、「邪馬台國」といふ言葉に出逢つたことはありませんし、邪馬台國の論爭誌以外には、「邪馬台國」なんて云ふ字さえみたことがありません。
なんでみんな邪馬台國のことを騒ぐんだらう??? おかしいなあ。
とずつと思つてきました。まあ、あまり騒ぐ必要もない事なので、この好奇心旺盛男がそれについて調べたことのないし、調べる必要性もあまり感じてゐませんでした。
今囘、ある一冊の本が上梓されました。
な~るほどね~といふ感じです。
TV番組で「スッキリ」といふのがありますが、あの感覺よりもスッキリです。
とても面白いので「超譯 邪馬台國は存在しなかつた」のタイトルで明日 元旦から書きますね。
では、始めます。
今は、七十二候 冬至 初候 「雪下出麦」です。「ゆきくだりてむぎのびる」と讀みます。
積もつた雪の下で、麦が芽を出し始めます。重い雪の下でじつと春を待つてゐます。
易經でいふところの陽の芽生えです。
數年前 帯広で仕事いただいてゐるとき、麦畑がたくさんありました。
続きを読む: 雪下出麦(皇紀弐千六百七十九年一月二日 弐)
私は、五木寛之先生が大好きです。若い頃は、青春の門。私の故郷の近くが舞臺といふ親近感もありましたが、讀んだとき、強烈なショックを受けました。その後「親鸞」や「百寺巡礼」などなど、たくさんの著作に触れてきました。もう、作家の著作を讀んでゐるといふレベルではありません。心の中に、どんどん勝手に遠慮なく入ってくださいます(笑)。
魅せられるとは、このことなんでせうね。
先日も紹介しましたが、五木先生が今回こんな本を上梓されました。
一度讀んだのですが、何度も何度も頁をめくります。この寫眞にあるやうに、五木先生の著作1967年から2018年150の中から素晴らしい言葉が抜粋されてゐます。
続きを読む: 眠れぬ夜のために 1(皇紀弐千六百七十九年一月二日)
舊年中は大變お世話になりました。本年もどうかよろしくお願いします。
元日ですので、あれはどうのこれはどうのと「誰が正しいかではなく、何が正しいか」の觀點からの指摘はやめておきます(非難ではない)。これは明日から。書きたいことがたくさんあります。特に今日の各紙朝刊を讀むと!!!
今日は、主語を自分にした記事にします。
続きを読む: 謹賀新年(皇紀弐千六百七十九年元日)