釜石の夢(皇紀弐千六百七十九年一月二日 四)

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 涙腺崩壊!!!
 正式名称は「釜石の夢 被災地でワールドカップを」です。

 平成二十三年(2011年)三月十一日 東北地方太平洋沖地震が發生しました(東北大震災)。

 釜石の奇跡と云はれた當地も大變な被害を受けました。

 釜石は、若い人はもう知らないかもしれませんが、新日鉄釜石が松尾・森などの卓越した選手を生み、そして、卓越した戦術で、我が國で初めてラグビー日本選手権七連覇を成し遂げました。この地には、「ラグビー」といふ言葉が私達の想像以上に、いえ、想像を絶するぐらいにしみこんでゐます。

 平成三十二年(元號は新天子樣のもと新しくなってゐますが)、我が國で、ラグビーワールドカップ(RWC)が開催されます。ラグビーDNAがしみ込んでゐる、釜石の人たちは、RWC招致に向けた動き出します。桜庭さん(かつての新日鉄釜石の選手)を中心に立ちあがります。

 でも、復興が進んでゐない、釜石では、「そんなことよりもまず復興だろう」といふ意見とまっぷたつに割れます。一時は實現不可能と云はれながらも誘致を實現させた釜石の物語です。

 その物語が赤裸々に描かれてゐます。

 亡くなった平尾誠二氏。元 日本代表監督(日本ラグビー協会理事)の言葉です。

「釜石開催は復興のシンボルだ。未曽有の困難を乗り越えた人々の姿を世界に伝えよう」

必讀の書です。

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このページは、宝徳 健が2019年1月 2日 04:43に書いたブログ記事です。

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