前囘は、長門國 一宮 住吉神社 をご紹介しました。
今囘は、長門國 二宮 忌宮(いみのみや)神社です。ここには外敵襲來の傳承があります。
この神社には、仲哀天皇(第十四代 神功皇后の夫)が熊襲征伐に向かふ際に七年間滞在した豐浦宮の跡とれてゐます。
ここに塵輪(じんりん)といふ將軍に率いられた新羅の軍が攻めたといふのが傳承です。
苦戰を強いられ最後は仲哀天皇自らが弓をとって塵輪を倒しました。敵は散り散りになり、兵士は慶び踊ったといふ言ひ傳へです。
この神社には、數方庭祭(すほうていまつり)といふ變はつた祭りがあります。塵輪の首を埋めて覆つたと云はれる「鬼石」の周りを男たちが長さ20~30メートル、重さ数十キロもある大幟(おおのぼり)に仕立てた竹を林立させて練り歩く勇壮な祭りです。毎年八月です。
延喜式神名名帳には、朝鮮半島から機内に至る航路 対馬、壱岐、筑前、長門、播磨、摂津に住吉神社があると記してあります。新羅親征と深いかかわりがあるのですね。
我が國は、ステキです。歴史の中でひとつひとつが主役として生きてゐます。
コメントする