サイコパス 8(皇紀弐千六百七十九年一月三日 六)

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 今年は、毎日ブログを書いて、途中でストップしている連載物少しずつ復活させていきます。

 これも久しぶりです。だた、サイコパスは途切れてもテーマとして取り組みやすいのでぜひ讀んでください。

 今日からのテーマは衝動的
衝動的

 サイコパスは、行動を起こすことの是非を考へたり、その結果に思ひをめぐらすことにあまり時間を割きません。「やりたい氣分だつたからやつた」です。

 米國ユタ州に ゲアリー・ギルモアといふ殺人犯がゐました。彼は辯護士を通じて自分の死刑を嘆願しました。つひにはその希望を果たし昭和五十二年(1977年)、彼は合衆國で十年ぶりに処刑された受刑者になりました。

 「あの夜つかまっていなかったら、三件目、あるいは四件目の殺人は行われたと思ひますか?」

といふ問いに對し、彼は

「警察に捕まるか、あるいは射殺されるまで・・・、いや、おれは何も考へてゐなかつたし、なんの計画も立てていなかった。氣の向くままにやっていただけだ。あの二人には氣の毒だった・・・俺が言ひたいのは、殺人は怒りのはけ口になるつてことだ。怒りは理由なんかじゃない。殺人に理由なんていらない。理由をつけて殺人を理解しやうとするのはやめてくれ」

 でも、サイコパスは、衝動的に殺人を犯すことはしません。「安易に満足感や快楽や安堵を手に入れる」といふ目的を果たすためです。かういふ言葉があります。

「サイコパスは、自分の欲求しか頭にない幼児のやうなもので、與られること激しく要求する」

つづく

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このページは、宝徳 健が2019年1月 3日 09:31に書いたブログ記事です。

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