今日は、この本。
これは面白い。へ~、三波春夫さん、こんな本を書いてゐたんだ~、ととても新鮮に感じる内容です。初版はなんと平成三年(1991年)です。もう二十八年前です。
我が國は、新儀よりも先例を大切にしてきました。新儀をやると後醍醐天皇御代のやうに必ず世の中が亂れます。
だとすると、我が國の憲法もイギリス形式が一番良い。憲法典は必要ありません(不文憲法で十分)。
極端な話、聖德太子の十七条憲法と教育勅語と先例があればそれでいい。
このブログにも、十七条憲法はシリーズで掲載したことがあります。これは、國家をしばりつけるものでも、國民に要求するものでもありません。為政者に對するいましめです。これを讀んだら今の政治家は猛省しなければならないでせう。
また、我が國には、主權の概念など不要でした。現に大日本帝國憲法には「主權」といふ言葉がひとつもありません。この事實を持つて、バカ者揃いの憲法學者は、「だから遅れてゐる」と云ふ人間がたくさんゐますが、違ひます。明治の男たちの歐米への挑戦です。「歐米のみなさん、みてください。私達は權利義務などといふくだらない言葉などなくても、十分國家が成り立つのですよ」と。
それを愚かなアメリカが 權利義務がないのは民主主義ではないとして、憲法と云ふ名の文章でしかない(倉山満) 邪教(寳德) 日本國憲法「典」を權利義務のデパートにしてしまひ國がおかしくなりました。
ダイシー「憲法序説」やバジョット「イギリス憲政論」、占部百太郎「英国憲政史」をぜひお讀みください。中世の大混亂を經て、英国は、素晴らしい憲法(典は英国にはない)運用をしてゐます。
これが手に入ったときは、うれしさのあまり踊りました。
これは、國會圖書館デジタルコレクションでも讀めます。息子はこれで讀破してゐます。
憲法とは先例の運用です。なぜなら、憲法とは、歴史・文明・文化・風俗・習慣だからです。
まあ、ダイシー「憲法序説」は古本市場でも、ほとんど手に入りませんが。たまに出てきても36,000圓はくだりません。英国憲政史は、13,000圓程度です。バジョットは手に入りやすいのでこれから讀むとよいです。
締めに使ってはいけない言葉。「天皇制」です。これは共産主義者の言葉です。最近、普通にこの言葉を使ふ識者もゐますが、とんでもないことです。 をはり
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