源氏物語 95(皇紀弐千六百七十九年一月六日)

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 源氏物語の中に

「なくてぞ」とは、かかる折(をり)にや、と見えたり(なくてぞ、って、かういふ時に使ふ言葉なのね)

といふ言葉があります。私達のやうな敗戰後のくだらない教育、つまり、「敗戰前の日本はすべてが惡だつた」といふ歴史分斷、日本破戒教育を受けた者は、この短い言葉に何の意味も感じず、讀み飛ばし、そして、「意味が分からないなあ」と意味が分からないのを自分ではなく源氏物語の責任にしてしまひます。

ある時は ありのすさびに 憎かりき なくてぞ人は 戀しかりける

 古歌です。

生きているときには身近にいるということに慣れてしまって、憎く思うこともあったが、なくなってしまうと人は恋しくなるものだなぁ

 紫式部はそれを引用してゐます。

 この歌を知つてゐるだけで「なくてぞ」といふひと言に凄まじい力が宿ります。桐壺をいじめに苛めぬいてゐた女官たちが桐壺が亡くなつたあとに漏らした言葉です。

 なくてぞという一言で、亡くなった桐壷の更衣への女官たちの思いを傳へる、紫式部の教養の深さです。そして、それを讀んだらわかる當時の人たちのすごさ。

 さらに、ありのすさびという言ひ回しの、なんともいえない含蓄があります。

 「ありのすさび」は漢字交じりで書くと「在りの遊び」または「在りの荒び」ださうです。ただ、「遊び」と「荒び」では、全然受け取り方が違います。「遊び」ならば気軽で明るいイメージ、「荒び」ならば深刻で暗いイメージです。おそらくここでは、両方のイメージを表現しようとしています。人の評価は毀誉褒貶。よく言われたり、悪く言われたりです。その言動が、憎らしい・腹立たしい人でも、いなくなってしまえばどこか寂しく、懐かしく感じるものです。人情の機微というか、人生の教訓というか、言い得て妙です(http://e2jin.cocolog-nifty.com/blog/2011/12/post-37f0.html 古典・詩歌鑑賞(ときどき京都のことも)のブログより)。

なくてぞ。

 すごいなあ。日本語つてすごいなあ。つづいて「かかる折にやと見えたり」と言い切る。千年も源氏物語に挑戰し續けてゐる人間がどんどん増えてゐる理由がわかります。

 では、本文。

 夢で桐壺院に逢つた光源氏は、桐壺院から「この海辺を早く立ち去れ」と云はれました。

 尋ねてきた明石入道の使ひを部下に会はせました。会つた話を聞いてみると。

「入道のもとに意見の者が現れて 嵐がやみ次第、この須磨の浦に船を出せ。霊驗あらたかになるだらう。  とのことでした」

 光源氏はこの霊驗に信じるものを感じ「よし、行ってやう」 早速迎への船に乘りこみました。

 たどり着いてみれば明石は趣きに富んだとても素敵な土地です。須磨よりもずつと良い。

 明石入道はこの地の權力者で、海浜にも山にも領地を擁してゐます。どしらにも屋敷を構へ、海辺のはうは、ことさらに造つた苫屋(とまや)が風流だし、山辺には御堂を建てて行に励むことができます。田畑もあれば倉も並びます。自分の敷地自体が小さな町です。

 姫君は高潮を恐れて今は山の方で暮らしてゐます。光源氏は、海辺の屋敷に案内されました。のどかに暮らせるやうに整へられてゐました。

 無量光寺です。明石入道が準備した光源氏の屋敷です(濱の館(はまのたち)と云ひます)。

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このページは、宝徳 健が2019年1月 6日 05:27に書いたブログ記事です。

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