源氏物語の中に
「なくてぞ」とは、かかる折(をり)にや、と見えたり(なくてぞ、って、かういふ時に使ふ言葉なのね)
といふ言葉があります。私達のやうな敗戰後のくだらない教育、つまり、「敗戰前の日本はすべてが惡だつた」といふ歴史分斷、日本破戒教育を受けた者は、この短い言葉に何の意味も感じず、讀み飛ばし、そして、「意味が分からないなあ」と意味が分からないのを自分ではなく源氏物語の責任にしてしまひます。
ある時は ありのすさびに 憎かりき なくてぞ人は 戀しかりける
古歌です。
「入道のもとに意見の者が現れて 嵐がやみ次第、この須磨の浦に船を出せ。霊驗あらたかになるだらう。 とのことでした」
光源氏はこの霊驗に信じるものを感じ「よし、行ってやう」 早速迎への船に乘りこみました。
たどり着いてみれば明石は趣きに富んだとても素敵な土地です。須磨よりもずつと良い。
明石入道はこの地の權力者で、海浜にも山にも領地を擁してゐます。どしらにも屋敷を構へ、海辺のはうは、ことさらに造つた苫屋(とまや)が風流だし、山辺には御堂を建てて行に励むことができます。田畑もあれば倉も並びます。自分の敷地自体が小さな町です。
姫君は高潮を恐れて今は山の方で暮らしてゐます。光源氏は、海辺の屋敷に案内されました。のどかに暮らせるやうに整へられてゐました。
無量光寺です。明石入道が準備した光源氏の屋敷です(濱の館(はまのたち)と云ひます)。
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