田中英道先生はかう仰います。
「『魏志倭人伝』の記述はもともとおかしいのです。すでに千冊以上出版されているという、これまでの日本の「邪馬台国」論争のどれを読んでもわかることがあります。すべて『魏志倭人伝』を様々に解釈し合っているにすぎないということです」
『魏志倭人伝』は、結局どうでも解釈できると言ふことです。讀み方ひとつで近畿節にも関西説にもなる。そんなことを繰り返し論じても無意味です。
なぜなら、支那の歴史とはさういふものだからです。魏志倭人伝が収録されている『三國志』をはじめ、支那で歴史書を呼ばれてゐるもののほどんどは、そこに多少の事實が書かれてゐても、学術用語でいふ、歴史資料にはあたいしないのです。
それはいまでも變はりありません。どうかはりないか。つづく
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