前にも書きましたが、私は、西宮恵比寿が全國戎神社の総本山と思つてゐました。鳴尾浜の逸話を知つてゐたので。あながち間違ひでもないのですが、あまりにも視野が狭かつた。
それに福岡で育つた私は、十日えびすが大好きでした。それが、大學で東京に行つて、東日本には恵比寿神社がないと思つてゐました。でも、あるんですね~。面白いな~、世の中は。
昔、西宮恵比寿神社の本殿が焼失した時、德川幕府 四代將軍 家綱が再興しました。そのときの維持修復費用に充てるため、江戸幕府は、西宮恵比寿神社の「御神影札 おみえふだ」の版權と獨占頒布を認めました。
それを担う、「願人 がんじん」と云ふ人たちが、各地に置かれ、東海、北陸、東北にまでえびす進行が普及しました。
その過程で、海の神樣だつた、恵比寿様が、農村では農業神・五穀豐穣の神としても祀られるやうになりました。
さあ、次の舞臺は、山陰に移ります。
我が國は、八百万(やおよろず)の神です。窮屈ではなく、おおらかに生きていけます。
たつたひとりキリストを信じなければならないキリスト教。その解釈の違ひで、キリスト教自体も何派にもわかれ殺し合いを續けてきました。へとへとに疲れてやつたことがルネサンス(再生)。「もういいかげんにしない?」と。それがウェストファリア条約です。今の國際法の元です。
私たちは、もつともつと祖國は樂しみ、そして、そのすばらしさ、人間社會の奇跡をしらなければなりません。
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