源氏物語 100(皇紀弐千六百七十九年二月十一日 五)

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 ついにシリーズ百回になりましたね~。源氏物語とは不思議なもので、最初に讀みはじめたときは、まつたく理解できませんでした。それでも、世界に誇るといふか、世界が奇跡として未だに信じられない、この女性の大作をどうしても讀みたく、いろいろな源氏物語の本を讀んでゐるうちに、そのたびにどんどん理解不能になりながら、どんどん魅せられていく自分がゐることに氣づきはじめてきました。やうやく、ほんの少し理解できるやうになりました。私は、一生 源氏物語に魅せられそして、千年以上前に紫式部によつてしかけられた素敵な罠に陥つていくでせう。

 芥川龍之介は、「或る阿呆の一生」で、「人生の一行はボオドルエルにも若(し)かない」と言つてゐます。「現實は、ボードレールの一行の詩にも及ばない」です。この表現は、島内景二氏の「源氏物語ものがたり」で知り、讀んでみました。このブログは、島内氏のこの著作の超譯と思つていただいて結構です。

 島内氏は、藤原定家もまが「人生は一行の源氏物語にも若かない」といふ思ひだらう、と書いてゐます。

 現實よりも大切な藝術があつた二百年以上も昔の王朝時代。定家の時代には、とつくに消え去つたもの。古典とは、なんと素敵なものでせう。私は、髙校時代、古典が大嫌いでした。學校の責任にしてはいけませんが、今の學校は、生徒を勉強嫌いにする場所です。でも、すてきな先生に会へたりすると、その教科が好きになつらりしませんでしたか?

 さて、本文。都で光源氏を呼び戻さうとしてゐるとき、光源氏はとつくに、明石の君と仲良くなつてゐます。
 少しずつ一夜を重ね、下氏らを募らせ、そして、つひには、一夜も欠かさずに通うほどになりました。

 歌と心を通わせ・・・。そして、明石の君は懐妊しました。

 しかし、このタイミングで光源氏は都へ呼び戻されました。間が悪い! でも、明石の君を連れて歸るわけにはいきません。

 またまた、別れの涙涙涙。この上なく切ない明石の君の涙。

 光源氏はせつなくてたまりません。さあ、どうなるのでせうか。

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このページは、宝徳 健が2019年2月11日 09:10に書いたブログ記事です。

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