我が國において、源氏物語になにかしらの貢献をすることは特別の意味を持ちます。源氏文化に身を置くことが、藝術家の最高の使命です。近現代でも、小説家の最後の仕事が、源氏物語の現代語訳であることが多いことがそれを證明してゐます。
さて、四辻善成(よしなり)です。
♪せり・なずな・ごぎょう・はこべら・ほとけのざ・すずな・すずしろ これぞ七草♪
春の七草の歌です。ネットで檢索してください。旋律と共に出てきます。これで覺へると忘れませんね。
それと、これは和歌になつてゐます。すごいなあ。
これを作ったのが四辻善成と云ふ節があります。
源氏物語 第二部 三十四帖と三十五帖が 「若菜の上」「若菜の下」です。若菜は話が長いので二帖に分かれてゐます。
「若菜の上」で 光源氏が数えの四十歳となり、お祝ひの宴が催されます。平均壽命が極端に短かった平安時代の四十歳は、現在の六十歳ぐらいのイメージです。當時は、四十歳は「老人の仲間入り」でした。
長生きして四十歳の正月を迎へた老人に、これからもずつと元氣でいてほしいといふ願いを込めて、若返りの秘薬として春の野で摘んだ「若菜」を献上して食べてもらうのが四十の賀の宴でした。
源氏物語では、夕顔の娘 玉鬘(たまかずら)が、光源氏に若菜を献上する大役を務めました。
なんか、すごいですね。世界で唯一歴史が連續した 人間社會の奇跡の國 我が國 日本ならではです。
さて、本文。
光源氏の子を産んだ 明石の君のもとに、かなり高貴な女性を乳母として送つた光源氏でした。
この時、乳母に、和歌を託してゐます。
源氏物語には、795首の和歌が詠まれてゐます。「なくこ」も黙ると覺へます。一番多い帖が、「須磨」で48首、「明石」で30首。合計78首です。實に約1割!!!
さて、明石では、明石入道(明石の君の父)が あらためて光源氏の氣持ちを知つて感激します。明石の君は、一度は 光源氏に忘れられたのではないかと云ふ氣持ちでいたのですが、この厚い心遣いを知つて、「ああ、忘れられてはいなかつたののね」と氣を取り直します。
さて、光源氏は、まだこの時、明石の君に子供が産まれたことを紫の上には話してゐません(笑)。でも、他からこの話が耳に入ることはとてもまずい。困惑の表情を作って、紫の上に訴へました。
さあ、どうなることやら。つづく
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