超譯 邪馬台國は存在しなかった(皇紀弐千六百七十九年四月八日)

| コメント(0) | トラックバック(0)
 前囘は、昭和五十七年に建てられた卑弥呼神社の冗談のやうな話を書きました。學界やマスコミがいくら騒いでも、卑弥呼の墓であつたことの證據は何も出てきません。ただの笑い話です。

 魏志倭人傳には、魏帝が卑弥呼に銅鏡100枚を下賜した、といふことが書かれてゐます。我が國では、銅鏡の出土が多く現在に至るまで、實に4,000面以上の銅鏡が發見されてゐます。發見された銅鏡の一部は三角縁神獣鏡です。この三角縁神獣鏡こそ、この下賜された銅鏡だと主張する研究者が多數ゐます。
 しかし、これら出土された銅鏡と魏志の「百枚」を裏付ける證據は、何も出てきません。

 それに、「魏志倭人傳」では、他にも金印紫綬、銀印青綬を始め多數 下賜されたと書かれてゐますが、それらはどこにも出てきません。

 まあ、今囘 田中英道先生の「邪馬台國は存在しなかった」を讀んでだことをきつかけに、いろいろ他の關係本も讀んでみましたが、調べれば調べるほど、ばかばかしくなります。

 このシリーズに最初に書きましたが、私は年間最低二百冊の本を讀みます。これを十年以上續けてゐます。でも、邪馬台國といふテーマの本には出逢つたことがありません。

 また、このシリーズを書いてゐても、なんだかどんどんばかばかしくなるので、これで打ち止めとします。

 結論!

邪馬台國なんてありません!

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://www.soepark.jp/mot/mt/mt-tb.cgi/8252

コメントする

月別 アーカイブ

Powered by Movable Type 4.261

このブログ記事について

このページは、宝徳 健が2019年4月 8日 04:47に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「どの本よりわかりやすい千夜一夜物語 21(皇紀弐千六百七十九年四月七日 五)」です。

次のブログ記事は「眠れぬ夜のために 19(皇紀弐千六百七十九年四月八日 弐)」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。