つれづれなるままに(皇紀弐千六百七十九年 令和元年六月八日)

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岩波書店の正体
 「紫禁城の黄昏」という名著があります。


  ジョンストンと云ふ愛新覚羅溥儀(あいしんかぐらふぎ ラストエンペラー)の家庭教師をしていた英国人が、帰国後、赤裸々にその事實をまとめたものです。超一級品の書物です。これがかつて岩波文庫から発刊されたことがありました(今は価値がなくなって中古市場で1円ですが(笑))。


 溥儀を救えと昭和天皇の命が下ったときは、溥儀はもうソ連に拉致されていました。そこで、日本に不利になるような証言を強要され東京裁判に至ります。東京裁判では、この紫禁城の黄昏は証拠品として却下されました。正しいことが書かれているからです。 

 なんと岩波文庫は、戦後この紫禁城の黄昏を出版した時に、我が国に有利になることは、削除したのです。さすが左翼岩波。どうにでも大東亜戦争はわが国が悪だったといわないと気が進まないようです。さすが、敗戦利得者。

 これではいけないと、故渡部昇一先生が、探しに探して上梓されました。今では手軽に読むことができます。渡部昇一先生の偉大なる功績ですね。

 数日前こんな記事がメディアに流れました。

学校法人・東洋英和女学院(東京)の院長だった深井智朗(ともあき)氏が著書と論考に捏造(ねつぞう)や盗用があったとして懲戒解雇されたことを受け、岩波書店は13日、対象の著書「ヴァイマールの聖なる政治的精神」(2012年刊)を絶版とし、回収すると発表した。

 さすが岩波書店。

悲しくなる驚愕の事実

 これも先日メディアで流れた記事です。

産経・FNN合同世論調査 女性天皇と女系天皇の違い、「理解せず」過半数(産経新聞)

 国民は不勉強すぎます。

 保守とは何か。国体を破戒する狂気に対抗する力です。

 国民の大多数が 国体を破戒する狂気 になっています。どうするんですか?

 理屈ではありません。なぜ、我が国だけが、唯一歴史が続いた人間社会の奇跡の国かということを国民が知らないでどうするというのでしょうか。この本質論が我が国の国柄であり文化であり文明 つまり、我が国の体質=憲法なのです。それを文章であらわしたのが、「憲法典」です。なので、日本国憲法典は、明らかに憲法違反なのです。立憲主義に反するのです。憲法改正の議論はここからはじめなければなりません。

 私は学者ではありませんから、専門的な知識は学者さんにお任せしましょう。以下もご参考に。


本当の即位をめざして
 五月一日に新帝即位が叫ばれました。政治家もメディアの官僚も(こいつらが一番悪い。内閣法制局と宮内庁)、「即位即位」と叫びました。もう、がっかりです。

 退位→践祚→即位(そして初めて新帝が行われる新嘗祭が大嘗祭です)です。即位は、即位の礼昇殿の儀でなります。践祚:天子の位を踏(践)み行(祚)う。天子の位に就かれていろいろな儀式(即位のための儀式)を行いそして、即位する。桓武天皇以来の大切な順番です。

 えっ?現行の皇室典範では践祚は表現されていないって? だから言ったでしょう!今の日本国憲法典は憲法違反だって。それに、憲法から考えたら、憲法典と皇室典範は並列でなくてはなりません(憲典体制)。それが皇室典範が憲法典の下にある体系になっています。これも憲法違反です。

 だいたい、天皇家の家法に我々国民が口をはさむなということです。まだ敗戦を引きずっています。それほど日本を壊したいか。こういうのを国体を破戒する狂気といいます。

 昨日、神社庁のパンフレットを読んでいたら、こういう記事がありました。少しホッとしました。
 

 

  一体、十月二十二日の即位の礼昇殿の儀のとき、官僚やメディアや政治家は国民になんて知らせるんだろう???

をはり

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このページは、宝徳 健が2019年6月 8日 03:38に書いたブログ記事です。

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