世の中を壊したい人たち つれづれなるままに(皇紀弐千六百七十九年 令和元年七月七日 四)

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 仕事の合間に。つれづれなるままにというタイトルのみにしようと思ったのですが、あまりにも愚かなことが多いので。

応援歌自粛問題
 何のときだったかなあ。十年ぐらい前に「子供」ではなく「子ども」と書けと言うPC(ポリティカル・コレクトネス:まあ、政治的にこういう表現なら逆らいにくいだろうという、リベラル(本性は左翼)たちが設定する言葉の意味)が横行しました。理由は聞きましたが、嘔吐しそうになるようなくだらない理由だったので、ここで明言する程書けません。 差別用語だと言って、こういうPC投げかけられることが多々あります。

 今回も(中日ドラゴンズでしたっけ?)、応援歌の中に「お前」という言葉が使ってあるから不適切だとして、監督が使うのを自粛しました。「お前が打たなきゃ誰が打つ」とかいう。

 どこが悪いの???? 何が悪いの????

 かつて、天理大学柔道部で後輩が先輩に殴られた、体罰だ!と御用新聞 読売新聞がなんと、トップにその記事を載せていました。朝刊です。もちろん行き過ぎはダメでしょう。だけど、天理大学柔道部とは全国屈指の柔道部です。その体育会系で強くしようと思って型を習得させようとしたら、鉄拳制裁ぐらいは当たり前です。讀賣と日経はどんどんPC新聞になりますね。

 応援歌で応援している人間を鼓舞するのに「お前」と使うのは当たり前です。「ねえ、きみしっかり打ってよ」とでも歌うの?

 博多から大学入学で上京してきたときに、後楽園にボクシングを観に行きました。観客が「なにやっているんだよ~」と行ったときに、一緒に上京した友人と二人で顔を見合わせました。「東京っちゃ、おかまの街?」。

 こういうことを言うと過激と言われます。では、それを検証しましょう。

子どもの殺人事件
 こんな記事が載りました。

中2男子が同級生刺し意識不明 2019年7月6日
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6329146
 少し前に在る女性と話していて、「俺たちの子供のころは、男の子が喧嘩の一つもできないでどうするの!と育てられた。うちの家は、喧嘩に敗けたら家に入れてくれなかった」と言いました。

 するとその女性が、「そんなことをして人を傷つけたらどうするんですか?」と私に聞きました。

 面倒くさいから答えませんでしたが、結果どうですか?喧嘩の仕方も知らない男の子ばかり育てるからこんな事件が起きます。私達のことより、結果がひどい。というか、私達の頃はそれはそれは喧嘩がたくさんあって学校に行くのも嫌でした。なんど顔を腫らして家に帰ったかわかりません。でも、再起不能とか殺人なんかはなかった。「今日から俺は」というドラマ。あれは、私達の時代にはなかった。せいぜい「ビーバップハイスクール」です。

 暴力と喧嘩は違います。男は大切な人を護るために喧嘩をすることは絶対にあります(殴り合いというだけではなく)。それを一色単にしている今の親。自分たちが「喧嘩をしてはいけません」と教えた結果が今、どんなひどい世界を作り出しているかに気付きもしていません。

 これもPCです。

いらんことをするな

最低賃金、東京都鹿児島の差224年引揚議論開始
https://www.asahi.com/articles/ASM7dこも36D44M73ULFA042.html

 國賊朝日の朝日たるゆえんですね(爆笑)。

 あまりにもばかばかしいので、詳しくは解説しません。需給バランスをなくして、我が國を共産主義にしろと言う議論です。どや顔でこんな記事を書くな!これもPCです。

子ども食堂???
 子供の責任を論じたり悪口を言っているわけではありません。また、私の情報不足かもしれません。だけど、これがなぜ、今わが国で必要なのかが皆目見当がつかないのです。これって対症療法ですよね?根治療法の確立には時間がかかるからあと〇年ぐらいは対症療法が必要だというならわかります。これも、なかなか逆らう意見が出来ない。PCです。

 今私はどこの國にすんでいるのだろうか?愛する祖国なのだろうか?をはり。

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このブログ記事について

このページは、宝徳 健が2019年7月 7日 15:19に書いたブログ記事です。

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