サラリーマン時代にガソリンスタンド業界の雄 宇佐美史郎氏に会うことが出来ました。というか担当になりました。言わずと知れたガソリンスタンド宇佐美グループの総帥です。1か所のガソリンスタンドを400か所までに立ち上げた偉人です。業界NO.1です。
私が担当したときは200か所でした(それでもすごい)。それが担当しているたった2年間で300か所になりました。無理にではなく、自然に増えていきます。
本社から宇佐美を担当するため名古屋支店に転勤するように命じられました。「いやだなあ、なんであんな安売りの店を担当しなければならないんだ」と本気で思いました。宇佐美の親父(以下、親父)に会った瞬間に思いました。
ああ、石油業界の唯一の真実がここにいる。 と。
当時の石油業界はめちゃくちゃでした。石油業法や数々の規制により、元売(石油会社)も販売業者もその規制の中でうまく泳ぐことしか考えていません。青雲の志を得て入社した私は事あるごとに会社というか業界に反発しました。これが、
真に働く姿を顕現し国家社会に示唆を与える
という、佐三店主(出光佐三 出光興産創業者)がいう、出光第二の定款なんですか!!!と。
しらけたりしていませんよ。仕事は誰よりもやりました。やらないやつは文句を言ってはいけない。文句を言ってはいいのはやったやつだけだ。新入社員のころから叩き込まれたおしえです。
親父は、孤高の中、業界の中で唯一それを実践していました(佐三さんはもう他界されていました)。
例えば、当時は、なんと、石油の小売価格は 「現金高の掛け安」だったのです。つまり、法人客に安く売りたいから、個人客向け価格を高く設定するという、およそ腰も心もが折れそうなことを、業界全員でやっていましhた。それを親父が「現金安の掛け高」という、「誰が正しいかではなく、何が正しいか」という正義をやった瞬間にみんなから大バッシングです。まるで、今の相撲業界やラグビー業界のように。
宇佐美を担当した時に、次の日が店長会でした。「親父さん、明日の店長会は何時からですか?」と聞いたら、親父は「う~ん、何時からかなあ」。部長に聞いたら「8時時半だっけな」。専務に聞いたら「8時から」。出光興産本社というシステマティックなところにいた私は、「なんていい加減な会社なんだ」と腹が立ちました。
次の日の朝、8時に宇佐美本社に行ったら、もう、全員集まっています。
時間じゃないんです。みんな親父に逢いたいから来るんです。
そして、このいい加減な会社が我が国で業界内ダントツの生産性をあげているのです。
中竹さんの考え方・堂々様式をとらえようとしています。讀めば讀むほど、親父に似ています。
今日は脱線しましたが、明日又、「あなたの「期待」」の中竹さんのおっしゃることを書きます。
真実はいつもひとつ(コナン) 。指導者の他責のサイクルに陥らないために。つづく。
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