超訳 中竹竜二③ 期待が無駄に終わる理由②(皇紀弐千六百七十九年 令和元年九月七日)

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期待通りにならない理由 自分勝手な強制要望

 期待しないということはネガティブな発想ではない。かけ方によっては、期待はとても大きな効果を生む。「自分も無力さを認識することが、実は「期待」するとうことの正しい態度」である。

期待:「期して」「待つ」。「よい結果や状態を予期して、その実現を待ち望む」。「予期したことを待って+望む」。

 期待の落とし穴
自分以外の他の者や物事に対してかけがち→思い通りに行かなくて他を責めても仕方がない。しいて言えば勝手に期待した自分が悪い。そして最終的にあきらめるしかなくなりそれをまた他の責任にする。

 期待する側はただただ、「良い結果を待つ」ことが正しい態度。身近な人間ほど「ただ待つ」のが難しい。

(宝)う~ん、だから夫婦げんかするのか。

 部下や子供に対しては「本当に期待しているのだから頑張れ」と叱咤する。「期待」して「待つ」ことを超えている。しかし期待している方はそれに気づいていない。
自分が勝手に期待しておきながら「待ちきれず、押し付ける」=強制要望

 この「強制要望」こそが、期待通りの成果を拒む要因の一つ。

(このことに反論する人の意見)
「本人がよい方向に向かうように励ますのが何故いけないんだ!」
「相手のためを思ってやっている」

(大切なこと)→この問いをじっくり考えることで「相手のためを思って」という言葉に潜むリスクがみえてくる。
①本当に相手のためを思っているのか?
②なぜその相手に、なぜ期待するか
を整理

(宝)面白いなあ。そのリスクは次回につづく。

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このページは、宝徳 健が2019年9月 7日 07:07に書いたブログ記事です。

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