与謝野晶子の歌に
春曙抄に 伊勢をかさねて かさ足らぬ 枕はやがて くづれけるかな(「恋衣」)
があります。
北村季吟という人が、枕草子について「春曙抄」という注釈書を著しています。この歌の出だしです。枕草子は源氏物語と同時代なので共通する語彙がたくさんあります。北村は、四井善成の「河海抄」の語釈をそのまま枕草子にも用いています。
それにしても昔の人の教養はすごいですね。なんか、今の教育を受けてきたことが恥ずかしくなります。自分の国のことを何も知りません。
さて、本文。光源氏が住吉詣をしていたとき、明石の君も住吉に。でも、あまりの規模の違いに恥ずかしくなって難波の神詣に切り替えたところまででした。
光源氏の子分の惟光(これみつ)がこれを知り、光源氏に伝えます。
光「それは気の毒なことをしたな」
みをつくし 恋ふるしるしに ここまでも めぐり逢ひける えには深しな
この和歌を明石の君に届けます。明石の君は泣きながら返歌を。
数ならで なにはのことも かひなきに などみをつくし 思ひそめけむ
この十四帖を「澪標 みおつくし」というのは、ここからきています。
澪標とは。「水脈 みお」「つ」「串」です。「つ」は「の」のことで、水の流れを示す杭のことです。美しい言葉の響きですね~。かつての日本人はすごい。さすが「言霊の幸(さきは)ふ國です。きれいな言葉を交わし合うので、みんなが幸せになった国でした。もう一度取り戻したいですね。
そういえば、大好きな政治家の杉田水脈さん。がこの字を名前につかっていらっしゃっています。ご両親の教養がうかがえます。
また、「身を尽くし」と聞こえて恋の切なさが漂います。和歌ではこちらの方で使い、恋のせつなさを水の流れに添えてほのめかしています。日本語は素敵ですね。
源氏物語の和歌は、七百九十五首です。「泣く子もだまる」と覚えますが、それ以上にこの「身を尽くす」という、光源氏の恋に対する気持ちがテーマになっているのでしょうね。 つづく
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