人日の節句(皇紀弐千六百八十年 令和弐年一月七日 弐)

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 今日は人日(じんじつ)の節句です。五節句の一つです。

一月七日 人日(じんじつ)の節句 七草がゆを食べます。
三月三日 上巳(じょうし)の節句 桃の節句 雛祭りです。
五月五日 端午(たんご)の節句 男の子の節句です。
七月七日 七夕(しちせき)の節句 七夕です。
九月九日 重陽(ちょうよう)の節句 菊の節句

 正月最後のこの日は、七草粥を食べて1年の豊作と無病息災を願います。
 旬の生き生きした植物である七草を粥にして食べれば、自然界から新たな生命力をもらえ、無病息災で長生きができるとされていました。かつては、前日に野山で菜を摘み、年棚(歳神を祭った棚)の前で七草囃子(ななくさばやし)を唄いながらすりこ木でたたいたそうです。こうすることで、七草の力をさらに引き出すことができると考えられてました。
このように丁寧に細かく刻まれた七草粥は、正月のご馳走に疲れた胃腸をいたわり、ビタミンを補う効果もあります。

 せり・なずな・ごぎょう・はこべら・ほとけのざ・すずな・すずしろ これぞ七草。子供のころによく歌いましたね。
 

 日本には古くから年の初めに雪の間から芽を出した若菜を摘む、「若菜摘み」という風習がありました。
また「若菜摘み」とは関係なく、平安時代には、中国の年中行事である「人日」(人を殺さない日)に作られる「七種菜羹〔ななしゅさいのかん〕(7種類の菜が入った吸い物)」の影響を受けて、7種類の穀物で使った塩味の利いた「七種粥」が食べられようになったそうです。 その後、「七種粥」は「若菜摘み」と結びつき、7種類の若菜を入れた「七草粥」になったと考えられます。

 江戸時代には幕府が公式行事として「人日」を祝日にしたことで、「七草粥」を食べる風習が一般の人々にも定着していったようです。

 我が国は素敵ですね。

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このページは、宝徳 健が2020年1月 7日 20:28に書いたブログ記事です。

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