私の履歴書 1 (皇紀弐千六百八十年 令和弐年四月十八日 六)

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 アルバムとは罪な存在ですね。今は、写真がデジタル化しているので一部の写真好きの方を除いてアナログのアルバムなんてないのでしょうけど。
 
 本以外、いろいろなものを整理しています。アルバムが出てくると、なつかしくてついみてしまって、整理が中断(笑)。 あ~、この写真はいいかなあ、と思ってもなかなか捨てられないですね~😢。

 写真などをを整理しながらこの「私の履歴書」を書きますので、毎日とはいきませんが、再度、自分の人生を立ち上げ、この19年のミスを5年で取り戻すために、書きますね。マインドフルネスですね。書いたものからどうしても遺したい写真以外はさよならします。悲しいけど。
 私は、昭和33年8月20日 AM7時36分に大阪府豊中市の父の会社の社宅で母に産んでもらいました。自宅でお産婆さん(助産婦さん)にとりあげられました(家に金がなかったんだと思う。姉は病院。私と妹はお産婆さん)。体重とか伸長はわかっていませんが、泣かずに産まれた来たそうです。

 お産婆さんが私の両足をつかんで往復ビンタをしてやっと泣いたそうです。お産婆さん、ありがとう。

 子供のころはとても身体が弱くいつもビービー泣いていたそうです。

 父と母は私が小さい時に「この子は大人まで生きられないかもしれないね」と話していたそうです。

 2歳~3歳ぐらいに枚方に引っ越したので、今、豊中の生まれた家に行けと言われても無理です。どうしよう。有名になって、寳德 健の生家がわからないと大騒ぎになったら(笑)。

 さてさて、どんなマインドフルネスができるやら。

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このページは、宝徳 健が2020年4月18日 09:04に書いたブログ記事です。

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