写メの撮り方がへたくそですみません。裏に母が撮影年月日を書いてくれています。
昭和三十六年四月十八日。二歳と八カ月。まだ、枚方に引っ越す前の豊中の家だと思います。
もう一枚。
これは、もう少し小さいですね。姉と二人。
こういう写真を紹介すると、「よい洋服。おぼっちゃんですね~」と言われます。
とんでもない。この頃の私たち姉弟の服はすべて母か叔母の仕立てです。父や他の方のお古を仕立て直すのです。特に貧しかった我が家で、どこかで服を買うなんてことはありません(まあ、それが当時の庶民では普通なのですが)。
母は、どんなに貧しくても(貧しい時期は私が大学を卒業するころまで続きました。学校?奨学金もですが、かなり苦しいやりくりでした)、「父と子供たちには、絶対に恥をかかせない」と考えていました。自分の全てを犠牲(犠牲とは、母は思っていなかった。それが母の誇りだった)にしても、父と子供たちのものを揃えました。
食事も、家族の給仕が終わるまで自分は口にしませんでした(私たちが大きくなってからは一緒に摂っていましたが)。
私はこの頃の記憶がないのですが、そうだったと思います(その後もずっとそうだった)。
母が亡くなったとき家族で形見分けをしました。ほとんど自分の物はなにもありませんでした。姉が父に怒りました。「着物の一つぐらい買ってやらんね!」
遺っていたのは、こういう写真とか、表彰状とか成績表とかです。「婦道」。我が国から消えかかっている言葉です。
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