大和言葉6 (皇紀弐千六百八十年 令和弐年四月十九日 弐)

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 髙校生になつて、はじめて古文を習いました。遅いですよね~。小学校一年生から、「古事記」「和歌」「古文」「数学」を教えたら、我が國は、素晴らしく再生します。

 髙校ではじめて習ったとき、意味がさっぱりわかりませんでしたが、感覚としては「美しい言葉だなあ」でした。

「春はあけぼの、やうやうしろくなりゆくやまぎは」

「つれづれなるままにひぐらしすずりにむかひて」「しののめ」「あけぼの」「おぼろ」「かすみ」「みなも」「せせらぎ」・・・・、「たおやか」「おおらか」・・・・、少し表現するだけでも、今の間違えた殺伐とした日本語にはない美しさがあることがわかります。

 和歌もさつぱりでした。でも、言葉と同じで、「美しいなあ」と身体の中に入ってきました。

 今の私たち日本人は、自分たちが言葉を破壊しているという、自覚症状がありません。さう、不感症なのです。

 また、どこからか声が聞こえてきそうです。「今は、それが普通なんだから」。

 普通なのではありません。異常なマジョリティです。異常なマジョリティが「普通」と呼ばれことが今の我が國です。不感症から脱して、自覚症状ぐらいもちましょう。
「あらまし」

 おおおそのところ、といふ意味です。「事件のあらまし」「あらましは、次の通りです」。

 徒然草「かねてのあらましみな違(たが)ひゆくかと思ふに」
 増鏡「心の限り仕うまつらむと、あらましおぼされつるに」

 きれいな言葉ですね~。

 動詞の「ある」に推定の助動詞「まし」がついて出来ています。

 また、客観的事実に反することを仮想したり、不明の事実を推量したり、話し手の意思、希望などを表明する「・・・であろう」「・・・でありたい」と使はれることもあります。

梓弓 引きて許さず あらませば かかる恋には あはざらましを(万葉集)

 プロポーズをしたとき、女性からこんな歌を返されたら、喜びのあまり卒倒してしまいそうですね。

私にちゃんと名乗ってくれたあなたの結婚を承諾します

という意味です。もし、梓弓といふ弓を引いてあなたを許さなかったら、この恋は実らなかっただろう。が直接の表現です。きれいですね~。私たちは、平安時代から退化してゐることがわかります。

 小学校から英語教育などという愚かな國家破壊行為をするのではなく、古事記と古文と和歌と数学をやれば、我が國は再生します。

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このページは、宝徳 健が2020年4月19日 07:10に書いたブログ記事です。

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