大和言葉7 (皇紀弐千六百八十年 令和弐年四月二十日 參)

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 中学校で英語を習ひました。確か当時の中学校では、三種類の英語の敎科書があつたと記憶しています。ひとつがニュープリンス、ニュークラウン、ニューホライズン。

 I have a pen から習い始めるのが確かプリンス。I am Susieから習い始めるのがホライズン。

 私はホライズンでした。今でも最初に習った歌を覚えています。

♪We are Tom and Susie・・・・・・・・♪

 しばらく習うと色が出てきました。yellow red・・・。つまんね~と思いました。日本には、同じ黄色でもいろいろな表現があります。それも自然と同化した名前になつています。美しいですね~。

 アルファベット二十六文字。我が國には、漢字、ひらがな、カタカナといふ何万語で豊かな表現をします。我が國は、漢字が支那から導入されても、何百年も使いませんでした。美しい我が國の言葉は漢字だけでは無用だったのです。ひらがなができて初めて使い始めました。なんという独創性でしょう。

 最近、日本語が乱れています。「なんで、ここでこんな表現をこの人は使うのだろう?」と思うことがしばしばです。時には腹が立ちます。でも、本人は説明しても、理解不能です。

 日本人の心から美しさが奪われていきます。

 かつて我が國はあんなに美しかつた。少し、言葉を取り戻しませんか?新シリーズです。
 仕事をしてゐるとよく出くわす言葉に「協力します」があります。

 上司が部下に、「今度、こういうことをやっていく」と表明したとします。部下が「はい、私達も協力します」・・・・・・。

 腰が抜けそうになります。おいおい、お前ら第三者かい。当時者だろうが。

 「はい、私達も、力を尽します」です。

 我が國は、米を社会基盤づくり、人生の基礎としていたため、自分以外の人間との共同作業がどうしても必要でした。力を合わせて生活をしてきたのです。そのときに、リーダーが「〇月〇日から田植えをするから」と言つたときに「はい、協力します」などといはうものなら、仲間から袋叩きにあひます。

 ここで、美しい言葉を二つ紹介します。まずは「力を添へあふ」です。

 なんと美しい言葉でしょう。英語やラテン語や支那語には絶対にありえません。だって、彼らは、隣人は敵の歴史なのですから。

 「みんなで力を添へあつて、このことを実現しましょう」

 美しいですね~。

 もうひとつが「気合ふ」です。

 欧米のオーケストラにはコンダクターがいます。つまり、コンダクターがいないと、オーケストラがなりたたないのです。我が國の雅楽にはコンダクターは不要です。


 それぞれに演奏者が、お互いに他の演奏者と「気を」「合はせ」ながらオーケストラを實現するのです。こんなすごい世界がどこにあるのでしょうか?

 國技である相撲は、何度も何度も仕切り直します。お互いの気が合ふまで戦わないのです。

 劍道では、蹲踞して竹刀を合わせます。柔道では、お互いに礼をします。気を合はせてから戦うのです。

 「協力する」などといふ「いやいや感」は全くありません。「私の本意ではありませんが、まあ、今囘は力を貸してあげましょう」というのが「協力します」です。

 まう一度、「気を合はせながら」「力を添へあつて」一致団結できる我が國を創造したいですね。

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このページは、宝徳 健が2020年4月20日 11:09に書いたブログ記事です。

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