つれづれなるままに(皇紀弐千六百八十年 令和弐年四月十日)

| コメント(0) | トラックバック(0)
太上天皇陛下・皇太后陛下皇后両陛下ご婚記の日
 くれぐれもお間違いのないように。上皇后陛下などという言葉はわが国にはありません。我が国の皇室は先例主義です。新しく入ってきたものを使うには、慎重に慎重を要します。我が国の文化・文明に合うかどうかを検証してからです。字など、伝来してから使うまでに約500年の歳月をかけています。


 「今の多数決は歴史上の少数である」という基本的な考え方があるからです。これが世界で唯一歴史が連続した人間社会の奇跡の国 我が国 日本の 秘訣なのです。

 だから、今回、政府が上皇后陛下などという言葉を使った時にひっくり返りそうになりました。

 正しい歴史を学び「遺す(遺す(残すではない))ことが正しい國の在り方を次世代につなぐことです。奇跡の国を滅ばさないように。
若き日の支那紀行
 支那は近代的になったという人がたくさんいますが、それは北京や上海などのほんの小さなエリアのところばかりでしょう。かつて個人旅行で約1か月支那大陸を旅行しました。当時はまだ、我が国国内で支那共産党から日本人には「個人旅行」のビザがおりませんでした。仕方がないので、香港に飛んで、香港の中国旅行社でビザを申請しました。香港から電車で広州に入りました。香港も少し路地を入れば汚くて汚くてしかたがなかったのですが、表通りは洗練されていました。


 広州に入ると絶句。どこ行っても絶句。リアカーで豚まんが売っていました。ビールもリアカーで運ばれ(ずんどうで)、お椀で手でずんどうに突っ込んで渡します。トイレは普通の人間ではいけないでしょう。今でも、都心を10キロ離れたら同じ状態のはずです。

 鳥は飛んでいません。どんな動物も地上にはいません。食べるんです。生でも。武漢ウィルスが発生するはずです。武漢が終息宣言をしました。終息宣言なのに、なぜ、習近平がマスクをしているの?習近平の護衛が防護服を着ているの?

 我が国の国家戦略は支那をはじめとした共産主義の撲滅のはずです。なのに・・・。

 おっと、そろそろ仕事を再開します。

とにかくまったく使えない
 昨日も書きましたが、武漢ウィルス対策の金融対策は、現場では効力の発揮しようがありませんし、門前払いさえあります。あの予算ではそうなって当たり前なのですが政府や国会は中小零細企業に死ねというのか? ことあるごとにいろいろな機関に訴え続けます。ひどいなあ。




トラックバック(0)

トラックバックURL: http://www.soepark.jp/mot/mt/mt-tb.cgi/8383

コメントする

月別 アーカイブ

Powered by Movable Type 4.261

このブログ記事について

このページは、宝徳 健が2020年4月10日 07:21に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「新型コロナウィルス対策マル経(皇紀弐千六百八十年 令和弐年四月十日)」です。

次のブログ記事は「武漢肺炎金融対策 実際の現場では(皇紀弐千六百八十年四月九日 弐)」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。