民の竈(皇紀弐千六百八十年 令和弐年四月十四日 參)

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 今回、安倍総理、麻生さん、財務省は、見事に「民の竈」そ捨てました。あの、経済再生担当大臣の西村さんも保身しか目立ちませんね。有事は、政治家の選挙活動ではない。

 消費税ゼロ、100兆円の国債発行、日銀のその百兆円の買いオペによる市場への100兆円への資金投入。これしかありません(地方債発行の支援も含めて)。

 このままいけば令和の大不況がやってきます。

 くり返し申し上げます。有事には金が要ります。有事に使った金を平時に戻ったときに回収できるやつは、有事に勝利したやつだけです。

 そして、喧嘩の弱い奴の共通点は、最初の詰めが遅いのと、最初の一撃が弱い。つまり、戦力の逐次投入をやるやつです。喧嘩に勝とうと思ったら(有事に勝とうと思ったら)、戦力の全力投入が大切です。今の政府のやり方は戦力の逐次投入です。私達は負けますと宣言しています。

 最近は、男の子に「喧嘩をしてはいけません」と教えます。だから、こんなのばかりが育ちます。有事に勝てない人間が。かつての海軍はハンモックナンバーと言って、海軍兵学校や海軍大学での成績がその後の出世を決めました。戦争に弱くても出世できるのです。

 だから、愚将 山本五十六なんかがミスリードして 我が国を潰してしまいました。戦力の逐次投入をして。

 さて、民の竈。仁徳天皇はこれをやり、民から慕われ、民は、仁徳天皇御逝去後、進んで世界最大の墓をつくりました。手塚治虫は、無理矢理作らされたというような漫画を描いていましたが。

 民の竈。戦前は、小学生でも知っていたことです。
http://www.ikeda-column.jp/article/15481671.htmlより

仁徳天皇四年の2月6日、天皇、群臣に詔をして曰く
「高台に登って国を望むと、国内から煙が登っていない。思うに、民はもうまったく貧しく、炊飯できるほどの食料も家にないのではないか?...こういう話を聞いたことがある。"良き君主の世には、人々は歌を歌い、家々もやすらか"という歌が古の世にあったと。今、朕は国政にあたって3年になった。歌声は聞こえてこない。煙もまったく登っていない。つまりは、五穀が実らず、民は窮乏しているのだ。畿内ですらそうなのだ。他の国では言うまでもなかろう。」

同年3月24日、詔して曰く
「今より以後、三年に至るまで、全ての庸調(課税)、労役を免除し、民の苦しみを取り除くのだ」と宣った。
この日から、破れてボロボロになるまで衣服や靴をつくらせず、腐っていない食料は取り替えず、宮殿の塀や屋根が崩れても修繕しなかった。風雨が隙間に入り、衣服を濡らした。屋根から覗く星々が、床をあらわにした。
こののち、天候も季節に従い、豊作となった。三年の間、民は豊かになった。民は日々の暮らしを謳歌し、炊飯の煙も立ち上るようになった。

仁徳天皇七年4月1日、天皇は高台から遠くを見渡すと、煙がたくさん登っていた。この日に皇后に語って曰く、
「朕はすでに豊かになった。心配することは何もない。」
皇后は答えて曰く、
「何をもって豊かになったというのですか」
「炊飯の煙が国中に登っておる。民が豊かになったということだ」
「塀は崩れ、宮殿は壊れ、屋内でも衣服が雨に濡れる始末。これのどこが豊かになったというのですか」
「天が君主を立てたのは、民のため。君主というのは、民があっての存在なのだ。古の聖王は、民が一人でも飢えたり寒さに凍えたりしたときには、政策を見直し、自らを責めたという。現在において民が貧しいということは、朕もまた貧しいということ。

民が豊かになれば、朕もまた豊かになるということなのだ。この世では、"民が豊かになって君主が貧しい"ということは、存在していないのだ」

同年9月、諸国の民からこのような申し出があった。「税も労役も免除になってからもう三年になります。宮殿は朽ち、政府の蔵はカラになっています。今は我々も豊かになり、道端の落し物をさらっていく者もおりません。里ではみな家族を持ち、家に蓄えが充分できるほどになりました。もしここで我々が税を払わず、宮殿を修繕しなければ、罰があたってしまいます」
それでもなお、天皇は税を免除し続けた。

仁徳天皇十年の10月、免税から6年後にして、天皇ははじめて税・労役をお命じになり、宮殿を再築した。民は誰からも強制されることなく、老いも若きも協力し、材木や土籠を背負った。昼夜をいとわず競って働き、程なくして宮殿は落成した。このゆえに、仁徳天皇は現在まで「聖帝」(ひじりのみかど)と呼ばれ、讃えられている。(引用おわり)


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このページは、宝徳 健が2020年4月14日 14:11に書いたブログ記事です。

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