東大教授とはこの程度か?(皇紀弐千六百八十年 令和弐年四月二十五日 八)

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  私が間違っていたら教えてください。私の大学の専攻は経済学です(計量経済学)。まったく優秀な学生ではありませんでした。

 だから、今から、ある東大教授を批判しますが、間違っていたら考えをただします。

 今日の讀賣新聞の一面(と八面)に、ミルトン・フリードマンが出ていました。博士の「選択の自由」「政府からの自由」は合宿などで読み込んだ覚えがあります。予習をしていかずに先生に足腰立たないぐらい怒られたころを覚えています(笑)。


 

 びくりしたのが、通貨化供給量を軸に(厳密にはこれだけではありませんが)政策を組み立てるフリードマン博士を財務省御用達新聞の讀賣新聞が一面に掲載していたことです。

 それを東大のマクロ経済学の教授が解説の記事をかいていました。(敢えて名前は書きません。もうひとり、東大にはとんでもない教授がいますが。東大は実証経済は勉強しないのでしょうね。だから、あんな官僚たちが出てくる)。

 うそばっかりなんです。読んでいて途中で?が一万個ぐらい頭をかけめぐりました。

 そして気づきました。ああ、通貨供給量の大切さをテーマに出しながら、最後でひっくり返して実はこれ以上金融政策は無理なので、財政均衡が大切だと言いたいんだなあと。やっぱり財務省御用達新聞でした。

 一個一個、言っていることを潰して行ってもいいのですが、あほらしいからやめます。今日の讀賣新聞朝刊は読まないように。

 それに我々が、学生時代に聞いてきたルーズベルトのニューディール政策はケインズ政策だというのは大嘘です。

 ケインズはルーズベルトに宛てた書簡で、その政策を大批判しています。

 こういう報道に触れると正しいことを学ばないとと強く思います。

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このページは、宝徳 健が2020年4月25日 17:33に書いたブログ記事です。

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