昭和節(皇紀弐千六百八十年 令和弐年四月二十九日 弐)

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 今日は昭和節です。昭和の日などとうくだらない名前は、我が国の歴史を真っ向から否定します。

 これはもう繰り返し書きましたから、今日は省略します。ご興味がある方は、このブログで、「紀元節」「天長節」と検索して本当の我が国を確認してください。

 ひとつだけ。「シラス」と「ウシハク」の違い。我が国の国体は「シラス」です。

 「ウシハク」とは、支配です。支配者が、土地も産物も人民も何もかも自分の所有物にしてしまうという、およそ、我が国 日本以外の歴史上の為政者の「支配形態」です。欧米や支那やロシアの歴史の支配形態です。

 「シラス」は我が国陛下(本当は天子様というが誤解されやすいので)の「統治形態」です。
 古事記を読み始めたころ、大国主命の國をなぜ、高天原の国の人間に「國譲りをしなければならないのか。ずいぶん横暴だなあ」と思っていました。

 完全に私の間違い。古事記をはじめとした我が国の神話や古典は、「私たちの祖先からの遺言」です(これについては書きたいことがたくさんあるのでまた今度)。

 大国主命は「ウシハク」の支配形態を取っていたのですね。だから、天照大神は、これはわが国の「統治形態 シラス ではない」と、我が国を本来の姿に戻すために國譲りを迫りました。ものすごい精神力ですね。

 あっ、余談ですが。天照大神や神武天皇は実在したのかという愚問を投げかける人がたくさんいます。天照大神は太陽なので実在しています。神武天皇も実在しています。

 でも、そんな愚問なんかどうでもいいのです。そういう人たちに質問されたら私はこう答えます。「カトリック教会主義の人間にマリアなんていたのか?と質問してください。喧嘩どころか殺し合いになりますよ」と。

 真理と真実と事実を区別して考えなければなりません。それが歴史です。

 閑話休題。

 皇祖皇宗以来の我が陛下(すめらぎ)は、私達臣民のことを「大御寳(おほみらから)」として、自分の命よりも大切な宝物としてくださいました。これが「シラス」です。我が国の国体であり、憲法です。だから、今の日本国憲法「典」は、この憲法を表現していないので憲法違反なのです。日本国憲法「典」を運用することは立憲主義に反しているのです。憲法改正はここから議論しなくてはなりません。

 紀元「節」、天長「節」の「節」は、世界で唯一歴史が連続した人間社会の奇跡の国 我が国 日本の国体を「考え」「見直し」「未来に向かっていく」大切な「時空」です。「日」と「節」では、全く違うこと。そして、歴史の「節」を神話の時代から考えることが出来るのは我が国だけです。

 大日本帝国は万世一系の天皇の治(し)らすところなり。

 大日本帝国憲法の第一条は、
 
 大日本帝国は万世一系の天皇がこれを統治す

です。その原文が井上毅がつくった原案です。「シラス」が表現されている素晴らしい条文ですね。これを憲法と言います(憲法典ではない)。

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このページは、宝徳 健が2020年4月29日 06:06に書いたブログ記事です。

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