四年半前の平成二十七年十一月八日に書いた記事です。内容からして、とても現代仮名遣いで書く勇気がありません(笑)。ご勘弁を。
ただ解説だけここで(現代仮名遣いで笑)。恋の段階の大和言葉です。
「したもひ」→「下思い:「心に秘めている思い」
「思い初(そ)める」→「恋の始まり」
「馴れ初め」→「思い初めるきっかけ」
「相思ひ」→「お互い好きになる」
「諸恋(もろごい)」→「情熱的な恋」
「片恋」→「相手に好きな人がいて実らぬ恋」
「片恋づま」→「相手が亡くなってもその人を思いつづけること(これは素敵な表現ですね)」
我が國は素敵ですね。
湊葦(みなとあし)に 交じるる草の しり草の 人皆知りぬ 我がしたもひは
「港近辺の葦に混じつて生える草の物知り草のやうに、周圍の人間に知れてしまつた。私のしたもひを」
万葉集 柿本人麻呂の歌です。
今日の大和言葉は「したもひ」です。大和言葉の本を讀んだら「したもい」と出てきます。これでは、何のことかわかりません。「下思ひ」が元となることばだからです。せめて大和言葉を語るときぐらい、本來の假名遣ひにしませんか? 本屋さんで立ち讀みをしてゐても、現代假名遣ひで書かれている言葉を観たとき、「?」が頭の中を飛び回り、理解不能に陥るときがしばしばです。
人に云はずに、こつそりと、特定の人を思ひ續けることを「したもひ」と云ひます。つまり「心に秘めてゐる思ひ」のことです。
下心とは違ひますよ(笑)。下心と違つて純粋です。
戀の始まりは、「思ひ初(そ)める」。昨日までなんとも思はなかつた人を突然好きになる。
いつたいそのきつかけは? それを「馴れ初め(なれそめ)」と云ひます。
そして、「憎からず思ふ」やうになり、お互いに愛し合ふ戀。これは「相思ひ」。
それが、情熱を持つた戀に發展すると「諸戀(もろごい)」。
さういふ風になればよいのですが、告白できずに自分だけが好き。または、相手には好きな人がいる實らぬ戀は、「片戀」。
あーーー、さういへば、二葉亭四迷が譯した、ツルゲーネフの「片戀」がありましたね~。内容はあまり覺へてゐませんが、學生時代に讀みました。主人公は「アーシャ」でしたつけ?
愛する人が亡くなり、それでも、思ひ續けるのを「片戀づま」と云ひます。
男も女も、相手のことを「つま」と云ひます。
この世の中には男と女しかいません。それぞれに良さがあり、それぞれに不足してゐるところがあります。それをお互いに補ひ、すばらしい家族を中心とした社會を創造していくのが私たち人間の使命です。そして、私たちの先輩は、世界で唯一その理想を實現してきました。それを今、私たちが崩壊させやうとしてゐます。
夫婦別姓、同性婚、男女平等・・・。
この世を破滅に追いやらうとしてゐるのでせうか?
同性愛は(私は吐き気がしますが)、1兆歩譲つてまあ・・・としても、世の中に出てくるなよ。ひつそりやれよ。異常を普通にしろと主張するなよ。お前ら異常なんだよ。自覺しろよ。結婚と云ふのは社會的制度です。それに異常を組み込んではいけません。
夫婦別姓。家族主義崩壊の最たるものです。
男女平等。お互いのよいものを消してしまふのではなく、お互いのよいところを認め合つて、戀をしませんか?
情緒あふれる、言霊あふれる社會をとりもどしませんか?
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