さあ、小学校三年生一学期が終わりかけのときに、大阪府枚方市立殿山第一小学校から静岡県駿東郡裾野町立裾野東小学校に転校しました。裾野は今は裾野市になっています。当時は、こんな田舎があるのかと思うぐらいでした。
国鉄(JRの前身)がまだ電化されておらずディーゼルか機関車でした。米の脱穀を水車でやっている農家がたくさんありました。
詳しくは次回から書きます。今日は裾野市の概要。 富士山と箱根の間です。
昔、汽車では、箱根の山を越えることができませんでした。だから、迂回した今の御殿場線が東海道本線でした。静岡県の沼津から、神奈川県の国府津まで。
それでも山。みなさん、スイッチバックって知っていますか? 裾野のひとつ北の駅 岩波は鉄道の傾斜が大きいので、蒸気機関車が、岩波駅から一度スイッチバック専用に造られた線路にバックするのです。それで勢いをつけて前進全速で傾斜のある線路を走っていきます。信じられないでしょ(笑)。
こんなイメージです(岩波駅の物ではありませんが)。
単線の路線にこんな感じのがあるのです。
あとは、自然満載。これはよかった。多感な時期にこの情緒豊かなところで育ったことは私の人生で大いにプラスになりました。
富士山がどーーーーん、と目の前にあります。当時は空気がきれいだったから見えない日はなかったのではないかなあ。
五竜の滝
不動の滝
店はほとんどなし。「よろずや」という業態を始めてみました。
さあ、そんなところで私はどういう小学校時代を過ごしたのでしょうか?
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