みてもまた 逢ふ夜まれなる 夢のうちに やがてまぎるる 我が身ともがな
源氏物語 光源氏の歌です。なんと、帝である父の女御 藤壺と密通してしまったときに歌ったものです。
「また逢ふこともないのだから、いつそ夢の中に消へてしまひたい」
この歌、ふられたときにいいですね。覺へとかうつと。
あふまでの こいぞいのりに なりにける としつきながき ものおもへとて
續後撰和歌集の歌です。「何度も思ひを告げたけれど、あの人は受け容れない。でも、はつきり拒絶してもいない。ああ苦しい。ずつと恋心を伝え続けたけど、私のこの思ひひはもう祈りに昇華してしまつた。ずつとこの恋に苦しめばいいと、言はんばかりの彼女の気持ちを変へることができるのだらうか」
和歌はいいですね~。
逢瀬が直接使われた和歌では少ないのですが「逢ふ」、つまり逢瀬の和歌はとてもたくさんあります。
「逢ふ」。つまりデートです。逢引きではないですよ(笑)。やましい気持ちが出てきますから。
これを大和言葉で云ふと、「〇〇さん、山菜摘み逢瀬はいかがですか」となります。
瀬が「場」「機會」です。
「次の逢瀬はいつにしようか?」
若い人にはだめですかね~(笑)。
ちなみに「おうせ」ではだめです。「あふせ」です。
どちらでもいいじゃないかと言う人もいるかもしれませんが、では、國歌の「いわおと」と「いはほと」はどうでせうか? 私は子供のころずつと「岩音」だと思つていました。「巌と」です。假名遣いで意味が違ってきます。我が国家 君が代は、現代假名遣いでは、あらわすことができません。
読み方は「おうせ」でいいのですよ。書き方です。言霊としての言葉の意味が違つてくるのです。
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