五怖畏(皇紀弐千六百八十年 令和弐年六月十日 參)

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 いい言葉めっけ! PHP7月号。この本はいいなあ。今月号のテーマは「人生、気楽にいこう!」だってさ。

 昔、ケセラセラという歌がはやりました。外国の歌の日本語版をペギー葉山さんが歌っていました。

 英語の歌もペギー葉山さんの歌も大好きです。



When I was just a little girl
I asked my mother what will I be
Will I be pretty, will I be rich
Here's what she said to me
Que sera, sera
Whatever will be, will be
The future's not ours to see
Que sera, sera
What will be, will be

When I grew up and fell in love
I asked my sweetheart
What lies ahead
Will we have rainbows day after day
Here's what my sweetheart said
Que sera, sera
Whatever will be, will be
The future's not ours to see
Que sera, sera
What will be, will be
Now I have children of my own
そんな私も今では子供達と暮らしているわ

They asked their mother, what will I be
Will I be handsome, will I be rich
I tell them tenderly
Que sera, sera
Whatever will be, will be
The future's not ours to see
Que sera, sera
What will be, will be
Que sera, sera


(ペギー葉山さん)
わたしの小さい時ママに聞きました
美しい娘になれるでしょうか
ケ・セラ・セラ
なるようになるわ
先のことなど 判らない
判らない

大人になってからあの人に聞きました
毎日がしあわせに なれるでしょうか
ケ・セラ・セラなるようになるさ
先のことなど 判らない
判らない

子供が出来たらそのベビーが 聞きます
美しい娘になれるでしょうか
ケ・セラ・セラ
なるようになるわ
先のことなど 判らない
判らない
ケ・セラ・セラ

なんでしょうね人生は。今月号のPHPのテーマだ~。

閑話休題

 人間は、悪い方向に想像を巡らせる癖があって、それが畏れへと変わり、さらに悩みだすそうです。

 これを仏教では、五怖畏(ごふい)というそうです、

①不活畏(ふかつい):食べていけなくなるのではという畏れ
②悪名畏(あくみょうい):周囲から悪く思われないかという畏れ
③大衆威徳畏(たいしゅういとくい):世間は私のことをどう見ているのか?という畏れ
④命終畏(みょうしゅうい):死への畏れ
⑤悪趣畏(あくしゅい):自分の居場所を失い、地獄のような生活になるのではないかという畏れ

 覚えます。



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このページは、宝徳 健が2020年6月10日 18:43に書いたブログ記事です。

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