源氏物語114(皇紀弐千六百八十年 令和弐年十月二十六日 弐)

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 いいですね~。私が生活のリズムと仕事のリズムを一致させることができるのは、仕事の合間にブログを書いて、手紙を書いて、本を読んでという、頭の仕事のリズムと切り替えのリズムが出てきてる時です。ようやく戻ってきました。いろいろなことをやろうやろうとして、自らリズムを狂わせていました。

 整えて、深く探って、強く引き出す。いくつになったらどんなオフェンスが来てもきちんとディフェンスができるようになるんだろう。

 ライフワークの源氏物語をさぼって十か月余り。最後に書いたのが今年の一月七日です。今日書く記事の前をお読みになりたい方は、そこからさかのぼってください。

 四辻善成が確立したモデルの三つ目です。モデルとはつまり、源氏物語の中の話の現実にあったことです。

その三
 源氏物語は、全部で五十四帖あります。五十三帖が「手習(てならい)」。

 初瀬詣での帰り、急病の母尼を看病するため、横川僧都が宇治院に立ち寄りました。その後、弟子の阿闍梨が院の森かげで倒れている浮舟を発見しました。浮舟は僧都たちにつれられて小野に移っりました。妹尼はなき娘の生まれ変わりと思って、浮舟の世話をしました。浮舟は、尼たちの不在中、訪れた僧都に懇願して、剃髪しました。一方、薫(光源氏の次男 この時点で光源氏は亡くなっている)は浮舟の噂を聞き、夢かと驚き、小君(浮舟の弟)をつれ、横川へ出かけました。


 四辻善成がすごいのは、この僧都を、現実にいる瞑想として知られた惠信僧都(源信 げんしん)だと断定したことです。研究に研究を重ねて。

 さて、本文。これも前回以前をご覧になりたいかたは、前述の記述以前に戻ってください(それか源氏物語で検索してください)

 六条御息所(ろくじょうのみやすどころ)が息を引き引き取ったところからです。
 前の斎宮であった、六条御息所の娘の後見人になった光源氏は、その娘に惹かれていきますが、六条御息所の遺言守ろうと決意します。

光「そうだ冷泉帝のもとへ入内させよう」

 冷泉帝とは、人知れぬ光源氏と藤壺の禁断の恋ゆえに生まれた子供です。

 この娘には、朱雀帝も興味を示しています。朱雀帝とは、桐壺帝の子供(光源氏もそう)で異母兄弟です。母親は光源氏の政治的ライバル 弘徽殿女御(こきでんのにょうご)です。

 敵に回すのも鬱陶しい光源氏は 藤壺の女院に相談しました。 つづく

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このページは、宝徳 健が2020年10月26日 08:37に書いたブログ記事です。

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