「源氏物語ものがたり 新潮新書」の著者 島内景二は、「『重ねこそ、日本文化の特質』」と言います。
江戸時代初期の大学者林羅山は、世に出る前には、京都で貧しい家に住んでいました。その家の名前が「夕顔巷」です「ゆうがおちまた」と読むのでしょうが、林羅山は、「せきがんこう」と音読で呼んでいました。林羅山は、源氏物語 第四帖「夕顔」が好きだったですね~。性別を超えて夕顔という女性の生き方に自分を「重ねて」います。
島内景二氏は、「王朝の人々の衣服は『重ね(=襲ね)』と言って、上と下、あるいは表と裏の微妙な色彩のずれと重なりを楽しんできた。香道でも、異なる材料を配合して、繊細な香りの重なりを味わう。茶道でも、見た目は貧しい田舎家を、広大な精神宇宙と重ね合わせる」と私たちに伝えてくれます。
四辻善成は、「桐壺帝」という虚構の人物に「醍醐天皇」という実在した人物を重ねました。「和洋折衷」「和魂洋才」もそうですね。わが国にしかできない。
こうやって広げていくと、いくつでも重ね合う工夫ができます。これまた紫式部の千年以上にわたるなぞかけをといていく楽しみですね。
あれは藤原道長の物語だと、簡単に片づける人がいますが(笑)。そこで終わったら千年が何も意味をしません。
さて、本文。光源氏が冷泉帝へ六条御息所の娘を入内させる相談を藤壺にします。
藤「よいことに気が付きましたね。きっとうまくいきますわ」
冷泉帝十一歳。前の斎宮はニ十歳。これよりさきにごん中納言の娘十二歳が入内していましたが、ニ十歳の女性の入内は高級をほどよく整えるので、いいのではという藤壺の計らいです。
光「私は、斎宮(御息所の娘)にだけ小名は死します。(冷泉帝には院の方からお願いしますの意味)」
光源氏と藤壺院との連係プレイですね。すごいパワーです。冷泉帝は政では、光源氏にすがり、高級では年上の女御(前の齋院)の慈しみが期待できますので、盤石と言えるでしょう。
ところで、ここで大きな問題が起きます。つづく
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