京都雲林院です。今は他の寺に吸収されていますが、紫式部の墓が小野篁の墓と並んで建っているそうな。今後、絶対に行こっと。
四辻善成が、自分の著書で紹介しています。
本当?って、聞く人。無粋にならないで(笑)。実際には、今の人が建てたのかもしれないけれど、真理と真実と事実を見比べてみるのは面白いかもね。
さて、四辻善成はこれで占めます。次回から一条兼良の源氏物語観です。
本文です。
前の斎宮と冷泉帝のところに入内させることを藤壺院に相談に行った光源氏です。藤壺院は大賛成なのですが・・・。
藤壺院の兄も自分の娘の入内を狙っています。紫の上の父でもあります。
この人は、もともと光言っ源治とは親しかったのですが、光源氏が須磨に流されている時に、いきなり冷たくなった人です。
藤壺院は、光源氏と兄がどうなるか、心配でなりません。
まあ、結果的に、うまくいきます。
結果としては、光源氏は表に出ず、藤壺院をうまく使いました。藤壺院の兄のこともあるのですが、朱雀院が以前から前の斎宮に奈美奈にならぬ関心を示していたからで(朱雀院も知ってはいますが)。
わかれ路(ぢ)に 添へし小櫛(おぐし)を かごとにて はるけきなかと 神やいさめし
前の斎宮が入内したときの朱雀院の歌です。嘆きの歌です。朱雀院は彼女が伊勢に行くときに、慈しみを込めて別れの小櫛を送りました。「ああ、あの時の小櫛は別れのしるしとして神様があなたを遠ざけてしまったのですね」という意味です。
あ~あ、光源氏、やらかしたわい。つづく
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