地始凍(皇紀弐千六百八十年 令和弐年十一月十四日)

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 十二日から 七十二候 立冬 次候 地始凍 ちはじめてこおる ですね。

 台地が初めて凍るころです。

 子供のころ、この頃になると水たまり(まだ舗装されていない道路が多かった)や霜柱を踏んづけて歩くのが楽しみでした。

水たまりの氷 画像 に対する画像結果

霜柱 画像 に対する画像結果

 秋は福岡が一番好きでした。冬は何といっても裾野が一番好きでした。

 とっても寒かった覚えがあります。でも、裾野まで雪化粧をした富士山が毎日観られます。きれいできれいでたまりませんでした。

 雪が降ると、竹を切ってきてスキーを創ります。自分たちで、雪を積み上げて小さな斜面を創り、そこから滑ります。

 竹は縦半分に切って、ひもをつけて靴に結びつけます。

 まだ日本が貧しかったときなので、釣り竿もスキーも遊ぶものはほとんど手作りでした。ナイフは一人一本は持っていたような。

 ある時期から、「そんな危険なものを子供たちに持たせていいのか」という、大人のお節介にメディアが乗って、子供たちはナイフを取り上げられてしまいました。

 日本の子供が不器用になったのはその時からです。

 本当に必要な教育は子供たちからリスクを取り上げることではありません。リスクに対応する力をつけてあげることです。大人はおろかですね。

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このページは、宝徳 健が2020年11月14日 07:12に書いたブログ記事です。

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